誰しも身内の恥は隠したがるものだが、それをあえて天下にさらした事件が明治の初期(明治13年)に起きた。
事の当事者は、東成郡天王寺村(現・大阪市天王寺区ほか)に住む駒次郎(30)。この駒次郎、妻(32)がいる身でありながら、外に作った愛人に夢中になって家族をまったく省みなくなり、生活費すら入れなくなった。それどころか、妻が家事の傍らに手仕事でコツコツ貯めていた貯金までも、その妻が病気で寝込んでいるすきに持ち出して、愛人との飲食代にしてしまった。結局、病気の妻は実の母がわざわざやって来て看病する有様だった。
こうした所業に怒ったのが、駒次郎の両親、惣兵衛氏(60)とその妻(63)だった。
「自分の息子ながら、こんな酷い行いは許せん!」
しかし、バカ息子にどうやって思い知らせたらよいのか。さんざん考えた挙げ句、怒り心頭の惣兵衛さんがとった手段は、息子の許しがたい行いを天下に知らしめること。それは実際には、新聞紙上に息子の行為を実名で掲載することだった。
そして、「東成郡天王寺村谷町筋生玉鳥居前九百十二番地 鈴木駒次郎 三十年」と住所と実名入りで記事が掲載され、「恥晒し(はじさらし)申し付ける」と締めくくられていた。当時で考えられる限りの「公開処刑」だったのだろう。記事は匿名ではなく、キチンと惣兵衛さんや妻の実名も付記されているから、それなりの覚悟はあってのことだと思われる。現代なら、さしずめネットで個人情報を流すようなものである。
その後、駒次郎がどんな境遇になったかはわからない。だが、いかにまだ新聞の購読者が少ない頃だったとはいえ、その影響力は強くなっていった時代である。ただではすまなかったのではなかろうか。
ちなみに、愛人や不倫のトラブルというのは、戦前も頻繁に起きている。戦前というと「メカケは男の甲斐性」などと思われていて、男が女性の愛人をこしらえてのゴタゴタがほとんどと思われる向きがあるかもしれない。しかし、実際には「母と娘で一人の男を壮絶な奪い合い」とか「女子学生が共同でアパートを借りて連夜のドンチャン騒ぎ」などといった事件がいくつも起きている。昔の日本女性も、今と変わらず元気一杯だったようだ。
(文=橋本玉泉)