※イメージ画像:『賢者の書(新装版)』著:喜多川泰/ディスカヴァー・トゥエンティワン
「後戯までがセックスです」
「帰るまでが遠足です」とかけているのか、最近セックスのハウツー本でやたら目にする言葉である。遠足は、歩き遠足だろうとバス遠足だろうと、学校に集合して、学校で解散する。帰り道に、「学校に戻らないほうが家には近いのに」という思いをした人も多いだろう。疲れた体を一刻も早く休めたいのに、学校に戻ると、解散式まで催される。そこで、校長ないし学年主任が決まって口にするのが、「帰るまでが遠足です」という言葉。筆者調べでは、世代・地域を問わず、お約束の決まり文句のようだ。お馴染みの言葉なので、あえて説明する必要もないが、要するに「真っすぐ家に帰れ」という意。
この、小中学生時代に、耳にタコが出来るほど聞かされ続けてきた言葉を、大人になって、しかもセックスに際して聞かされるとは、まさに青天の霹靂である。確かに、「女性は、男性と違って、セックスの余韻も楽しみたい生き物」ということは、理解はできなくとも、知識としては散々耳に入ってきている。よって、「セックスが終わった途端に背中を向けて煙草をふかすのはNG」ということも重々承知ではあるが、このセックススタイルが浸透しすぎてしまうと、ぶっちゃけ困るという男性がほとんどだろう。
オトコには、「賢者タイム」というものがある。セックス前からセックス中にかけての性的興奮が、射精によって一瞬で消え去ると、性的行為に対する感情が希薄になるという現象だ。賢者タイムの度合いは、人それぞれ個人差はあるが、「あらゆる性欲が完全浄化され、無欲無我・悟りの境地に達した感覚」になる男性もいるという。
肉体的には、射精によってカロリー消費した肉体を休息させようとする仕組みになっている。野生動物の世界では、交尾中がもっとも外敵に狙われやすいため、交尾後はすぐに周囲を見渡せるよう、交尾後のオスはさっさとメスの体から離れるのだ。よって、セックス後にイチャイチャするという行為は、苦痛とまではいかなくても、出来れば遠慮したいというのが本音である。
しかし、世の中の流れは、その思いとは全く逆方向に進んでいるのが現状だ。女性が、性に対してオープンになり、積極性を増せば増すほど、「後戯までがセックスです」という言葉が浸透していく。「セックスが終わった途端に背中を向けて煙草をふかすようなオトコは、セックスチャンスがどんどん少なくなっていくので、歯を食いしばってでも後戯をしましょう」という脅しをかけられているような状況だ。
なぜ、「男性には賢者タイムがあるので、後戯を求めるのは控えましょう」という見解は浸透しないのか? 女性の生理痛に関する情報は、テレビコマーシャルや女性誌の特集などでもしょっちゅう目にするというのに、賢者タイムはイマイチ知名度が低い。
無理もないだろう。賢者タイムの時間帯に、性関係のことを語る気にもなれないし、賢者タイムの時間帯以外に、わざわざ賢者タイムの話をする気にもなれない。これが、賢者タイムの知名度が低い要因と考えられる。
しかし、「語る気になれない」などと言っていては、いつまでたっても女性たちに賢者タイムを穏やかに過ごしたい男心は伝わらない。そこで、賢者タイムに、女性にどのような態度でいてほしいかを、一般男性から募った。
一番多かったのが、「先にシャワーを浴びに行ってほしい」という意見。なるほど。これなら、男性側は一人の空間に漂うことが出来るし、女性側も体を洗うことにおのずと集中するので、角は立たない。
次いで、「煙草を吸う」「ケータイをいじる」などしていてほしい、とのこと。煙草に関しては、吸わない女性もいるだろうから、ケータイが無難だろう。一般的には、二人で過ごしている時にケータイをいじるというのは、男女問わず失敬な態度だが、賢者タイムは別のようだ。
そして、「多くは望まないから、せめてくっつかないでほしい」という男性も。シャワーやメールを促すのはさすがに忍びないので、せめてベタベタするのだけはご勘弁を! というシンプルな意見である。
女性の生理休暇同様に、男性にも「賢者休暇」が出来れば、どんなに良いことか! 有識者や著名人が、賢者タイムを広めてくれるのが手っ取り早いのだろうが、デリケートなテーマであるがゆえ、賢者タイムの知名度アップは、残念ながらまだまだ先になりそうだ。
(文=菊池 美佳子)