松山城下に広がる大街道(おおかいどう)の歓楽街は、四国一の規模と賑やかさを誇る。日が暮れると色とりどりのネオンが輝き、平日らしからぬ大勢の酔客が行き交う。瀬戸内海に面し、古くから港町として交易で栄えた中予(*編注:愛媛県は東予地方、中予地方、南予地方の3つに分かれる)の中心都市であり、近隣に日本最古の温泉・道後温泉を有する観光と文化の街として、夜の交易は今も盛んである。
賑やかな松山の歓楽街は飲み屋の集まる大街道と、温泉と風俗街のある道後に大別される。しかし、酔えば手近でヌキたくなるのが男の性。四国一の夜の街にはこっそりとヌケる場所が残っているのだ。
大街道の中心から千舟町に向かう途中の路地で、”ファッションクラブ”という看板をみつけた。「ファッションヘルス?」と思ったが、客引き氏によるとピンサロとのこと。目的の店はそのすぐ先である。
大きなビジネスホテル裏の路地に入ると、数人の怪しいオバちゃんたちがたむろしている姿が目につく。推察どおりオバちゃんたちはポン引きで、その路地にあるちょんの間スナックや旅館に案内してくれるのだ。
「何歳くらいのコがおるの?」
耳が遠いオバちゃんに大声で聞くと、
「30歳くらいから! 20分6,000円、30分8,000円!!」
オバちゃん、オレは耳は遠くない。
いくらデフレ社会とはいえ、たった6,000円のちょんの間が四国の中心部に残っているのだ。ストレートのロングヘアーの三十路美女はスタイルもよく、コストパフォーマンスの高いサービスを提供してくれた。ただし、狭くて暗くて物置の様に安普請な部屋では、次のリピは考えざるを得ない。
「松山には水道とは別にポン道っていうのがあるの知っとる? 蛇口ひねるとポンジュースが出るんよ」
関西弁に似た讃岐弁とは違い、広島弁に近いイントネーションの伊予弁で使い古されたご当地ギャグを教えてくれたのは、かつて道後の”ネオン坂”のちょんの間で出会った女のコだった。
”ネオン坂”とは道後温泉本館裏手にあったかつての赤線街で、ちょんの間スナックの並ぶ坂道。スナックで飲みながらオネエちゃんを選び、いいコが見つかれば二階の小部屋にしけ込み、煎餅布団の上で情緒ある一発遊びができた。
坂の登り口に真っ赤なネオンサインで”ネオン坂歓楽街”と書かれたアーチがかかり、辺りを赤く染めていた。その坂も、5年程前にアーチが取り外されてからは寂れる一方。今では元の赤線街が段々畑の様な街に変わり果てている。
ネオン坂に取って代わる道後の遊び処は、温泉本館正面に伸びる温泉街のその先にある風俗街である。こちらの方が”ネオン坂”と呼ぶにふさわしい程、ソープランドやヘルスのネオン瞬く坂道。入り口にそびえる城の様に巨大な風俗ビルから続く道は、男にとっては心浮く上り坂である。しかも、その入り口にはちゃんとヌキ先案内人が立っているのだ。
「店の二階で遊べるちょんの間なんて、今はもうないんですよ。スナックで女のコ選んで、近くにあるホテルで遊ぶの。あとはヘルスのVIPコースね」
ポン引き氏曰く、温泉街のポン引きオバちゃんたちが連れて行くのは同じ店。そのスナックに案内してもらうと、顔見せで現れたのは三十路から四十路の人妻系3人。千舟町なら6,000円だが、道後だと1万3,000円。これも観光税のひとつか。
こちら側の事情としては、二人続けて人妻系は遠慮願いたいという気持もあり、次に案内してもらったのはVIPコースのある箱ヘルだった。料金は指名料込みで60分1万6,000円。店も立派で女のコも若くてカワイイ。しかしいくら坂の上にあるからとはいえ、クルマで連れて行かれるのには一抹の不安を感じざるをえない。他が良いだけに残念であった。
この他にも、六十路のバアちゃんと遊べる土橋のちょんの間や、ネオン坂付近にこっそり残る最後の一軒など怪しい路地、店は多い。ちなみに前号で編集長が気にしていた四国の女のコレベルだが、知人の風俗漫画家N氏は、「四国は女が死国」と言い切ったが、記者の経験上もちろんそんなことはない。香川と徳島と高知を除けば。
次回は奈良県生駒新地を巡る。
(文=松本雷太/著書『超おいし~日本全国フーゾクの旅』宝島社)
関東圏でいえば、黄金町がなくなったのが痛いね
【ニッポンの裏風俗 バックナンバー】
第1回 昭和初期にトリップしたかのような街並み、大阪・飛田新地
第2回 顔見せが無くても人気の新地…大阪五大新地
第3回 政治に翻弄された沖縄風俗
第4回 四国裏風俗ルポ 香川・徳島・高知