女子ボクシング競技でのロンドンオリンピック出場を目指し、注目されている南海キャンディーズ・山崎静代。ひと昔前の南キャンであれば、吉本のブサイクランキングを3年連続で制覇し、抱かれたくない芸人のトップに君臨した相方の山里亮太が、AKB48などといったアイドルに絡んでのニュースなどで注目を集めていた。しかし、今は彼らのブレイク当初に見られた「180cmの女性大型ボケ芸人」への注目の方が圧倒的。オリンピックへの出場が決まれば、ますます報道は過熱することだろう。
そんな相方・静ちゃんに世間からも熱い視線が送られる中で、山里は彼女の動向が報道されるたび「僕の元から全速力でいなくなっていってる」などと発言。ネタにしながらも、コンビ解散への危惧を募らせている模様。ネットメディアなどは、この山里の発言を引用して、「山里、解散の危機に悲壮感」といった類のニュースを流している。そもそも、冒頭に記したように、彼らがブレイクしたのは「180cmの女性大型ボケ芸人」という静ちゃんのキャラクターが先行してのものだった。山里にとってみれば、彼女の存在は無くてはならないものだったといえる。近頃、いくらピンでの活躍が目覚しいとはいえ、ボクシングに真剣に打ち込む相方に見切りをつけたということになれば、山里にとって致命的になるだろうことは間違いない。
だが、山里もそんなことがわからないほどバカではない。静ちゃんが注目を浴びる中にあって、彼はことさら自分が阻害されていることを強調し、まるで今の自分が捨てられそうな子犬であることを暗に主張する。これによって山里への同情心というのが芽生える寸法だ。前述したネットメディアでの「山里、解散の危機に悲壮感」といったニュースの多くが、彼のこのような言動を受けてのことといえる。もちろん、山里本人がどこまで考えて発言しているかはわからないが、行きつけのキャバクラでの評判を、「嫌われ者」というキャラを守るためにわざと悪くするようキャバクラ嬢に根回しするほどの男である。山里の発言は計算されていると考えていいだろう。
ただ、山里の「相方がボクシングに熱中してまったく相手にしてもらえない」という態度は、単に利己的なものとはいえない。この状況の表面だけを見れば、あたかも静ちゃんが山里を放っているような印象といえる。しかし、裏を返せば、いつまで続くかわからない静ちゃんのボクシング熱が冷めたときのために、山里が戻ってくる場を用意していると考えられる。つまり、山里は率先して彼女に戻ってきて欲しいとアピールすることで、ボクシングに入れあげている静ちゃんの芸能界での居場所を示し、世間やマスコミの風潮をできるだけ彼女に対して温かくなるように仕向けているわけだ。
自らを卑下することによって、五輪出場という夢にかけた相方の未来を守る山里。自己犠牲という言葉も当てはまるような彼の行動は男前と呼べるもの。そんな彼の本質が伝わっているのか、ここ最近の山里に対する世間の評判はいい。特に山里叩きの激しかったネットでも、今では彼の才能や実力を認めているものが多く見受けられる。名うての嫌われ者として有名だった山里が、大手女性下着メーカーのCMに起用されたというのも、彼への見方が変わってきている証拠だろう。
以前、山里はある雑誌のインタビューで自分のことを「養殖芸人」と言っていた。幼少期からテレビのお笑い番組に触れていた自分は、その時点でもはや天然ではなく養殖だというのだ。芸人に限らず、自らの限界や到底太刀打ちできない相手を認めてしまうのは勇気のいることだ。しかし、そこを認めてこそ開ける道というものがある。山里は、自らを養殖と認めることで、自分を卑下し、嫌われ者というキャラクターを作り上げることに成功した。しかし今、世間の評判が上昇している山里の作り上げたキャラクターは瓦解する危機にあるのかもしれない。
静ちゃんの五輪出場がどうなるかはわからないが、見事出場するなら、山里にはぜひ自身も語っていたように丹下段平の格好でセコンドについてもらいたい。その瞬間、新たな南海キャンディーズが生まれるに違いないから。山里は、そこまで計算して自分のキャラクターを操作しているのかもしれない。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)
キモ面白い芸人さんです