江戸時代というのは日本の長い歴史のなかでも、とくにさまざまな文化が開花した時期であることは、異論を待たないところであろう。セックスについてもしかりであって、江戸期になるとセックス関連の読み物をはじめ、解説書やガイドブックなどが数多く登場する。昭和34年刊の『日本艶本大集成』(魚住書店)にも、江戸時代だけで140点以上のセックスをテーマとした作品や文献が紹介されている。そのなかで面白いのが、セックスの回数について論じる術がいくつも見つかることである。
江戸時代というのは、セックスについて極めて寛容であった。そもそも、処女性を重んじるという考え方はまるでなかった。「処女に価値がある」とか「純潔」などという価値観が現れるのは、明治時代になってキリスト教が普及して以降のこと。この時期、詩人で評論家の北村透谷が『処女の純潔について』という文章を書いているくらいである。江戸時代において厳しかったのは、不義密通つまり不倫や、幼女に対する性的虐待、さらにレイプなどの犯罪行為には非常に厳しかったものの、一般的なセックスについては概ね認められていた。男女とも十代半ばくらいになれば、年長者の指導のもとにセックスを経験するなど当たり前だったことが、多くの資料や文献を見れば明らかである。処女や童貞のまま結婚するほうが少数派だった時代である。
そうなると、老若男女みな「何回くらいセックスするのが適切なのか」という点に関心を持つのも不思議ではない。
江戸時代のセックス解説書や健康関係の文献は数多いが、そのうち有名なのが、「節して漏らさず」で知られる、儒学者・貝原益軒の『養生訓』だ。
益軒先生は、セックスは年齢と体力に合わせて、無理をせずほどほどにという意見のようで、「20歳では4日に1回、30歳で8日に1回、40歳では16日に1回、50歳だと30日に1回」のセックスが妥当で、「60歳になったらやめたほうがいいが、体力があったら1カ月に1回くらいはよろしい」と言っている。
20歳で4日に1回とは、かなりストイックな教えのようだが、実はこれにはネタ本がある。中国・唐の時代に書かれたとされる医術書『千金方』にはほぼ同じ記述があり、益軒先生はここから引用したのだろうといわれている。
一方、「いやいや、セックスは大いにすべし」という意見も少なくない。江戸時代前期に書かれた性指南書『好色旅枕』には、「良い女性とのセックスは利益になることがとても多い」という記述で始まり、セックスについての留意点などが細かく述べられている。
また、中国・宋の時代のセックス解説書『玉房秘訣』には、「セックスは男女とも15歳からOK」として、15歳から20歳では、「体力があるなら1日2回、弱い人でも1日1回」が妥当であるとし、30歳では「強い人は1日1回、弱い人は2日に1回」、40歳では「強い人でも3日1回、弱い人は4日に1回」というように段階的に減らしていって、70歳を過ぎたらやめるべきと記されている。この『玉房秘訣』は、かの有名な医学書『医心方』の房内編にも多く引用されている。
では、結局はセックスの回数は、少ないほうがいいのか多ければよいのかというと、よくわからない。ただ、どの文献にも「節度を保ってほどほどに」という点では一致しているようだ。当たり前のことであるが。
ともあれ、すでに江戸時代からセックスのマニュアル本は試みられていたというわけである。幕臣で学者として有名な荻生徂徠も、「セックスは庶民にとって重要な娯楽」と書き残している。現代人よりも、セックスを楽しみたいという意欲が強かったのかもしれない。
(文=橋本玉泉)
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