昭和のバブル期は、マイホームやマイカーなど、自分専用の所有物を持つことがステータスとされてきた。しかし、時は流れて、今や時代は平成の大不況下。戸建てのマイホームなど夢のまた夢で、マンションやアパートなどの集合住宅に住んでいる、という人の方が多いだろう。そういった集合住宅の中でも、富裕層に人気を博しているのが、コンシェルジュサービスや警備体制が整った、ホテル級のサービスを提供している高級マンションである。我々一般人にとってはなかなか足を運ぶ機会のない場ではあるが、内部はどのようになっているのだろうか? 一歩足を踏み入れてみると、共有スペースといって、居住者が時間単位でレンタルできるパーティールームや宿泊ルームが完備されている。さらに、時代の流れに伴い、電気自動車の共用充電器導入を検討している物件もあるようだ。まさに、時代は”共有”時代といっていいだろう。
富裕層の高級マンションに限らず、我々一般人の間にも、インターネットの普及によって、知人間での情報の共有が活性化しつつある。いま流行りのFacebookなどは、その代表格と言っていいだろう。こういった背景から、現代人は”他人と共有する”ということに対して、抵抗感が少なくなってきているのではないだろうか。それは、生活面のみならず、性活面にも同じことが言えるようだ。
ほんの十数年前までは、どんなにイイ女でも、自分の友人が一度でも関係を持った女性にアプローチしようという人は少なかったように思う。いわゆる「穴兄弟にはなりたくない」という考え方が主流だったからだ。しかし最近では、「友人の本命のカノジョにちょっかいを出すのはさすがに気が引けるが、セックスフレンドや一夜限りの相手なら、友人と関係を持った女性でも気にしない」という人が珍しくないようだ。ここで気になるのは、本命だのセフレだのということではなく、「テクニックやペニスのサイズを比べられるのでは?」という不安はないのかという点である。これに関しては、「何カ月もたってから、友人と穴兄弟になっていたということに気付いた」という人がほとんどだったので、今さらテクニックやサイズ云々を気にしても仕方ない、とのこと。また、「交友範囲が狭いので、その中で穴兄弟になってしまうのはやむをえないこと」と割り切っている人もいた。さらには、「穴兄弟になることを気にして、せっかくのセックスチャンスを無駄にするのはもったいない」というポジティブ派も。いずれにせよ、テクニックだのサイズだの細かいことは気にしないという姿勢でなければ、友人と関係を持った女性に手出しなどできないようだ。
では、女性たちはどうなのだろう? 同性の友人と関係を持った男性とセックスすることに抵抗はないのだろうか。こちらに関しては”右へならえ”感覚の人が多いように感じる。「芸能人の間でもいっぱいありそうだし」と答えてくれた女性がいたが、この言葉がまさに女性の竿姉妹観を如実に反映していると言っていいだろう。「芸能人もヤッてるから、ヤッてもいいじゃん」という”右へならえ”感覚の考え方はある意味いかにも女性的と言えるのかもしれない。また、男性と全く異なる部分が、関係を持った後である。「どうだった?」「けっこう良かったよ」と、共有した男性についての品評で盛り上がることもあるというから驚きだ。男性陣は”お友達同士”の女性にアプローチする際は、後々酒の肴として語られる可能性があることを覚悟しておいたほうがいいだろう。両名に絶賛されているとしたら気分はいいが、「遅漏だった」「ワタシの時もー!」などとボロクソに言われているかと思うとトラウマになってしまいそうだ。
しかし、いかに”共有”時代といっても、男女共に穴兄弟・竿姉妹になってしまった経験があるという人はまだまだ少数である。ハプニングバーや全裸サロンなど、他者と性を共有する場が増えたとは言っても、やはりまだまだ抵抗感を持つ人がほとんどのようだ。「いくらなんでも節操がない」と、不快感を示す人もいるだろう。だが、古代の日本は、夜這いや通い婚など、相手がコロコロ入れ替わるスタンスでセックスが行われていた時代もあった。当然、穴兄弟や竿姉妹になってしまうケースも珍しくはなかったはずだ。歴史は繰り返すと言うが、そういった文化も現代の日本によみがえるものなのか、気になるところである。
(文=菊池 美佳子)