18日、現在公開中の映画『さや侍』(松竹)について、監督である松本人志と観客による公開討論イベントが都内の映画館で行われた。上映後、およそ30分間にわたって交わされたティーチイン。松本は登壇後「映画を見た人ばかりなので、普段よりは深いところまでしゃべれると思う」とあいさつ。適所に笑いを散りばめながら観客からの質問に積極的に答えた。
松本にとって国内では初の試みとなった今回のようなイベント。進行役として登場した、『さや侍』の脚本にも参加した放送作家の倉本美津留は「最初で最後にならないよう、皆さんの質問に期待してます」とあいさつ。松本自身も「舞台あいさつはイライラしたけど、(ティーチインは)苦痛じゃない。2、3時間でもやっていける」とイベントを歓迎。第2弾の開催が期待されるほどの盛り上がりを見せた。
多くの松本ファンが駆け付けたと思われる今回のイベント。ほとんどの質問者が「今日で(映画を見たのは)2回目だったんですが……」という前置きをして、松本に質問を投げ掛けていた。そんな彼らに松本は「2回目の方がいいという癖を直したい」と照れながら、「あれだけたたかれた『大日本人』(2007年、松竹)も、今になって評価されだしたりしてるし……」と複雑な心境を語った。
そんな中、松本が今作の二本柱と語り、彼らの出演が決まった時点で成功を確信したという主演の野見隆明と僧役の竹原和生について言及。撮影中はお小遣い制だったという野見が宿泊先のホテルのフロントにまで金を借りていたエピソードなどを暴露。会場の笑いを誘った。しかし、話題が竹原に移ると表情が一変。「才能がある人が認められていない……という思いが結構強くて、僕が何もしなくても彼は日の目を見ると思いますけど、ちょっとでも手助けできたら」と感極まった様子で言葉を詰まらせていた。
この松本の様子を見て、記者はふと映画公開前に松本が出演した『あさイチ』(NHK)での彼の言葉を思い出した。
「あと何年テレビ出ていいですかね?」
番組が視聴者から松本への質問を募る際、松本本人が放った一言。逆に視聴者に質問をしてしまうという彼ならではのボケなのだろうが、何か切実な言葉のようで記者には引っ掛かっていた。そして松本は同じ番組で「世界で一番面白くない人間が世界で一番面白いのかもしれない」「僕が世界で一番とは言わないですけど、(野見のような人間には)かなわないと思う」「限界を感じている」などと発言。以前の松本ならば絶対にしないような発言の数々に、記者は不思議な戸惑いを感じた。
そして18日のティーチインで明らかになった、松本の心境の変化。以前の松本は「笑いというのは人それぞれの好みであって、これがいちばんっていうのはないっていう人がいますけど、僕はそういうのを聞くと、非常に胸クソが悪い。いちばんレベルの高い笑いは、あるんですよ。自分がそうやと思てますから」(『ダウンタウンの理由』集英社)と、人目もはばからず語るほど笑いに関して絶対的な確信を抱いていた。しかし今回のティーチインでは、観客から「人それぞれ笑うシーンが違うと思うんですが、狙っていない個所で笑いが起こることをどう思いますか?」と質問されると、松本は「笑いのメカニズムはまだ全然解明できてませんからね」と言い、「それはそれで勉強になる」と答えていた。
この変化を、単に彼が親になり大人になったからと言うことはできるだろう。そんなに単純なことではないかもしれないが、とにかく彼が変わったことに間違いない。そして相方の浜田雅功について質問された松本は、ツッコミという役割についてこんなふうに語る。
「ツッコミというのは、いわば警察みたいなもんですからね。本当に平和なら警察なんて要らない。つまりボケがそのまま視聴者に届けば、ツッコミなんてものは要らないんです。それが理想ですよね」
「でも実際はそうはいかない。僕も何度も助けられていますから」
言葉が適切かどうかは分からないがと前置きしながらも、ツッコミの存在について話す松本は、笑いの理想と現実にギャップがあることを吐露する。そして、彼は「今回の映画は、見ている人がそれぞれでツッコめるようにした」と説明。「思ってもみないところで笑いが起こると勉強になる」と語った。
ツッコミの不在は笑う個所を限定しない。松本は今回の映画でそんな作品に挑戦した。そしてその挑戦は、いわばツッコミありきでしか成立しないテレビバラエティーから身を引くことを意味するのではないか。まったくもって断言できない話で恐縮だが、映画の宣伝やティーチインでの彼の発言を聞くと、記者はそう感じずにはいられない。
「撮影中は、テレビのレギュラーと特番の収録が重なり、本当にきつかった」と振り返る松本は自分のことを「損な役回り」と自嘲しながら「そろそろ笑う側に回りたい」と漏らす。「笑う側に回りたい」など、「世界で一番笑い声を聞いた耳でありたい」と語っていた以前の松本からは想像だにできなかった言葉の真意がどこにあるのかは分からないが、テレビのレギュラー番組がマンネリ化してきたのは事実だろう。そろそろ新しいステージに向かうのはいい時期と言える。その新しいステージが映画であるとは断言できないが、レギュラー番組を減らして特番だけに絞ったとしても十分な稼ぎが見込める彼が、本腰を入れて自分の作品の制作に専念することは考えられるだろう。ちなみに昨年同様、NHKでの『MHK』の放送は今秋に確定しているようで、コント作品などへの制作意欲は盛んな様子。
1980年代からトップを走り続け、今なお絶大な影響力を誇るダウンタウン・松本。常に彼は誰よりも先を行き、新しい笑いに挑戦してきた。最新作『さや侍』で彼が提示したのも、ツッコミ不在という、まるで観客を試すような意欲作となっている。今後松本がどういった道のりを歩んでいくのかは本人にも分からないだろうが、数十年後あの作品が転換点だったと語るような作品が『さや侍』かもしれない。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)
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