「骨まで愛して」とは1966年に城卓矢がリリースし、大ヒットとなった歌謡曲だ。一人を一途に愛する気持ちを歌い上げる名盤だが、世の中には愛しすぎて男性の骨どころかペニスにまで執着し、死後保存してしまった人たちも存在する。ほかにも、あまりの大きさゆえに持ちさられたという事件や偉大な人だったため保存されたと伝わるケースも。歴史上の人物の保存されたペニスエピソードをご紹介。
まず日本で一番有名なところから。東京周辺で好色漢として名を馳せていた石田吉蔵が、愛人の阿部定に殺された阿部定事件だ。二人は店主と女中という関係であったが、徐々にお互いに惹かれ始め、肉体関係を結んだ。彼らの情事はSM的で、吉三は阿部定に首を占められるのを好んだという。しかし妻子があるゆえ、思い通りに会えないことに悩んだ阿部定は吉蔵を絞め殺してしまう。その後、包丁でペニスと陰嚢を切り取り、彼の上着で包み、帯の間に挟んで逃走した。二日後、阿部定は逮捕されるがその間に切り取ったペニスを眺め、舐め、局所に当てるなどしていたと伝わっている。刑期を終え出所した後に、阿部定は隅田川の近くにバーを開いたという。彼らの愛憎入り交じった関係と事件は、日仏合作映画作品『愛のコリーダ』として1976年に発表され、日本ならず海外でも広く知られている。
同じく愛され過ぎて持ち去られたのは、帝政ロシア崩壊の遠因になったと伝わる怪僧グレゴリ・ラスプーチンだ。彼のペニスは68年、パリのロシア人老婦人の部屋から発見された。持ち主はラスプーチンの信者兼愛人で、16年に彼が暗殺された際に切り取られ、放り投げられたペニスを持ってパリまで逃げていたという。50年間ペニスを持ち続けた彼女の胆力の大きさもさることながら、ラスプーチンのペニスの大きさも見事なものだった。ラスプーチンの伝記を書いたパット・バラムは「ベルベットの上に横たえられたペニスは、熟しすぎて黒くなったバナナのようで、長さは30cmほどであった」と記し、娘マリアも父のペニスは「勃起すると32cmを超える大きさだった」と語ったと言われる。この老婦人が持っていたラスプーチンのペニスが本物であるという確証は見つからず、その後このペニスの行方は不明だ。2004年にはロシアのエロチカミュージアムで、これとは別と思われるサイズも伝承に近いラスプーチンのペニスが展示されている。しかし、こちらも本物であるのかはいまだ明かされていないだ。
そして、ラスプーチンよりも巨大だったと言われるのは、アメリカ南西部で銀行強盗を繰り返し、FBIから「社会の敵」と認定されたジョン・デリンジャーだ。34年に射殺された彼の死体は、安置所に運ばれ検死へと回された。彼のペニスサイズは弛緩時34cm、勃起時50cmと謳われ、見事すぎるペニスに見惚れた熱心な病理学者が持ち去ったという。彼のペニスはその後、スミソニアン研究所内ショーケースに保存されたと噂が出回ったが、研究所側はこの話を真っ向から否定した。現代において、世界最大級のペニスを持つジョン・ファルコンのサイズが弛緩時24cm、勃起時34cmということからも、デリンジャーのペニスの大きさは当時、相当話題となっていたのではないだろうか。
逆に小さすぎて話題になったのが、フランスの英雄ナポレオン・ボナパルトだ。流刑先の地、セントヘレナ島にて胃がんで死亡し、検死の際にペニスが切り取られたという。検死をした博士は「彼の生殖器は小さく、萎縮しているように見えた。死ぬ前はEDだったと思われる」とコメントを残している。彼のペニスは、検死に同席していた牧師が持ち帰ったとされていたが、人の手をめぐり再び陽の目を見たのは71年のことだった。ロンドンのクリステイーズにてナポレオンのペニスがオークションにかけられたのだ。ペニスは約2.5cmの代物で「小さな乾燥した品物」と紹介され、出席者によればまるで「タツノオトシゴ」のようだったと残されている。オークションでは約500万円から競売がスタートしたが落札者は表れず、77年にアメリカの泌尿器科医が約80万円で購入したという。
男性の象徴を保存するほど大切にされるのは、男冥利に尽きると言いたいところだが、小さすぎても大きすぎてもコンプレックスの元になるペニス。男性ならば一度は気にしたことがあるだろう、シモ事情をまさか死後までひきずることになろうとは……。ご冥福を祈らんばかりである。
(文=南 はにわ)
神が与えた玩具って。