フラッシュの向こうにアソコが見える 80年代後半の超人気シリーズ

PDV-117_lMC.jpg『復刻 フラッシュバック14 鮎川真理』 品番:PDV-117/監督:望月六郎/時間:60分

 80年代後半のアリスJAPANにおける最大の看板シリーズが「フラッシュバック」だった。

 「フラッシュバック」シリーズは1987年6月に発売になった冴島奈緒編を第一弾に、桑原みゆき、中川えり子、松川ともみ、立原友香、美穂由紀、前原祐子、後藤えり子、松本まりな、庄司みゆきなど錚々たる美少女AV女優を起用し30作が作られた。上記の豪華ラインナップを見ただけでも、どれだけ期待されたシリーズかが分かるだろう。

 小沢奈美の回で沢木毅彦が書いていたように、このシリーズは女優のむきだしの股間に強烈なスポットライトを当ててハレーションを起こし、白く発光する局部をモザイクなしで見せたり、同じような手法でフェラチオを撮影したシーンが話題となってヒットした。スポットライトが減光される一瞬、女優の局部やフェラチオの口元が浮かび上がるような感覚にとらわれるため、そのビニール本感覚の衝撃演出で勝利したシリーズと言えるだろう。ビデオデッキの機能が日進月歩で進化していった時代、このシリーズを見るためにスローモーションやコマ送り機能のついたビデオデッキを購入した思い出のある読者もいるのではなかろうか。

 こうしたAVにおける瞬間的”反則”については、85年7月に発売された豊田薫の『マクロ・ボディ 奥までのぞいて』(サム/芳友舎)がルーツであることがはっきりしている。豊田の「マクロ・ボディ」は女性器の膣内や女性器の陰毛の超クローズアップ映像や、極薄生地のブリーフをはいた男優にフェラチオし勃起した男根のシルエットをくっきり浮き上がらせるなど、当時の自主規制団体、ビデ倫の表現規制を巧みにすりぬけるような裏技で圧倒的な話題をまいた。この一作で豊田薫は過激なAVを撮る監督として勇名を馳せ、その後も『ザ・KAGEKI』や『口全ワイセツ』などの問題作・ヒット作を連発し、B級のSMビデオメーカーだった芳友舎の大躍進を支えてゆくことになる。豊田はAV監督となる以前には自販機専門のポルノ雑誌、いわゆる自販機本や非合法スレスレの過激なヌード写真集・ビニール本の編集者をしていたことがあり、「マクロ・ボディ」の発想の原点はそうしたグレー・ゾーンのグラビアにあったと考えられている。

 この「マクロ・ボディ」の大ヒットは当時のAV業界にも注目されたが、影響を受けた作品にアリスJAPANが発売した「ズームアップ」シリーズがあった。ピンク映画のカメラマンだった倉本和比人が監督したこのシリースは女性器の映像を電子編集し、影になった部分に別の映像を合成するクロマキー処理や、同じ映像が幾重にも重なるディレイ処理などをして、「マクロ・ボディ」と同じように、視聴者を見てはいけない部分を見たような気分にさせるシーンが売りだった。大きな話題となったが、本来カメラマンであり職人気質の倉本に月1本、あるいは隔月でのシリーズ製作は荷が重かったようで「ズームアップ」シリーズは3作を数えた所で一時中断して、ドラマ性を強調した内容の「新ズームアップ」へと刷新、過激な修整処理で見せる部分が弱くなってゆく。その時期に「ズームアップ」に替わって斬新な性器修整のシリーズとして登場したのが「フラッシュバック」だった。

 監督の望月六郎はもともとピンク映画の制作プロダクション、中村幻児が主催した雄プロの助監督出身(沢木毅彦と同じ釜の飯を食べた仲であり、沢木は「フラッシュバック」シリーズ初期のシナリオを書いている)で、すでに数本のピンク映画を監督していた。もともとビデオカメラを使った実験映画の私塾・イメージフォーラム付属研究所で学んでいたこともある望月はビデオによる映像制作にたいするアレルギーはなく、ピンク映画出身者にありがちな拒否反応を見せずにAVを多作した。

「フラッシュバック」は当初隔月1本の発売だったが、10作を超えたあたりから月イチ発売になり、90年12月に発売される30作、沢木まりえ篇までシリーズは続けられた。その後も題名を「フラッシュパラダイス」と変えて存続、望月監督は91年まで監督を続けたが、その後このシリーズから手を引いている。

 アリスJAPAN随一のヒットシリーズだったと思われる「フラッシュバック」から手を引いた理由を想像するに、91年、望月六郎は念願だった一般映画『スキンレスナイト』(AV業界を舞台にした私小説的作品)を公開しており、映画監督としての活動にシフトすることを決意したのではないだろうか。97年には『鬼火』『恋極道』などでキネマ旬報監督賞を受賞しており、彼の選択はけっして挫折には終わらなかった。

 ただし「フラッシュバック」の内容に関して言えば、これはアリスJAPANに一貫した方針だったのかもしれないが、ドラマに文学的で前衛的な要素が薄く、ハイティーンなどの若い世代が気楽に楽しめる大衆性を強調したものになっており、筆者のような偏った映像趣味の人間にはまったくもの足りないものばかりだった。

 89年6月発売の『フラッシュバック14 鮎川真理』も、看護婦の鮎川と盲腸で入院した少年・大門恭二、そして彼女を愛人にしている医師・秋吉宏樹の関係をごくライトに、ナイーブに描いた内容だ。鮎川真理はAV女優以前は看護婦をしていたことがあり、そこからインスパイアされたストーリーだろう。入院患者の大門は注射や剃毛処理をされるたび美貌の看護婦・真理を陵辱する妄想に耽る。そのシーンが”フラッシュ効果”で登場する。ハレーションを起こした股間、ディルドを舐める仕草などが、現代のモザイク基準で見られるのは興味深い。またエコーを全開にしたカラオケマイクで鮎川真理の体をまさぐるというシーンがありその実験性は面白い。残念ながらそれ以上の発見や感動は見いだせなかった。物語のラストは、退院し、恋に破れた大門がコスプレソープに行くと、そこで看護婦コスプレの真理と鉢合わせ、というありきたりなハッピーエンド。毎月同様のフォーマットを連発するシリーズ監督の苦悩が望月にもあったのかもしれない。

 鮎川真理のことを書いておくと、彼女は村上麗奈や斉藤唯、東清美、仲村梨沙、葉山レイコ、牧本千幸などAV史上のスーパーアイドルが続出した88年デビュー組で、そのワイルドな美貌で人気を博し91年頃まで活動、メーカー専属にならずに膨大な本数のAVに出演した。小林ひとみと同様、身長があと7~8センチ高ければ映画界や芸能界で女優やタレントとして活躍できたかもしれない。恋多き女優でもあり、週刊誌に俳優の高嶋政宏や真木蔵人とのゴシップを書き立てられたことを記憶している読者も多いのではないか。

 筆者は一度彼女にインタビューしたことがあるが、野性的な美貌に似合わず、気遣いがあり利発な女優だった。芸能人に愛されたのも、そんな知的な性格ゆえかもしれない。ただ彼女も本番を否定し続けた疑似主義のAV女優で「カラミは何回やっても好きになれなかった。現場で朝、オハヨウゴザイマスって会っていきなり体を触られるのはいただけないなあ。カラミは周りにスタッフがいるからできるのであって、男優と2人で撮るのは(つまりハメ撮り)すごく嫌だった」とインタビュー中で語っている(『URECCO』90年、月号不明)。

 望月六郎が「フラッシュパラダイス」シリーズから手を引いて後、同作は村山恭助監督らの手で続けられ、確認できたところでは95年までリリースされている。”反則技”で女性器に迫り続けたシリーズが消滅する頃には、市場に非ビデ倫系のセルビデオ、インディーズビデオが溢れ、モザイクが薄くなりヘア解禁は当然のものになりつつあった。その意味で「フラッシュパラダイス」シリーズは当時もう使命を終えていたのである。

 最後に、08年に公開された望月六郎監督による劇場公開映画、杉本彩主演「JOHEN 定の愛」を試写で見ていた時のこと。なんと懐かしのフラッシュバック演出が画面に登場して腰が抜けた。杉本彩がハレーションを起こした張型をフェラするのだが、20年の時を経てかつての人気AVシリーズが再登場していることに、感慨深い思いを禁じ得なかった。もしかしたら望月監督がいちばん「フラッシュバック」のことを忘れられないでいるのかもしれない。
(文=藤木TDC)

◆アリスJAPAN『AV黄金期・復刻レビュー』詳細はこちら

『復刻 フラッシュバック14 鮎川真理』

 
本作品時の年齢は20歳ですが、佇まいはお姉さん

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