アイドル戦国時代、なのだという。たしかに5月30日にNHKで放送された『MUSIC JAPAN』の特集「アイドル大集合!」は熱かった。AKB48、ももいろクローバー、東京女子流、アイドリング!!!、モーニング娘。、スマイレージ、バニラビーンズが一堂に会したあの番組で、ももいろクローバーはその突出したパフォーマンスで一躍世の注目を集めることになった。
さらに、8月7日、8日には、アイドルによるフェスティヴァル「TOKYO IDOL FESTIVAL 2010」が開催されることが発表された。その2日間は「SUMMER SONIC 2010」と「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010」という大型ロック・フェスティヴァルも開催されており、その真裏でアイドルだけのフェスティヴァルが行われるというのだ。これまでにない新しい動きが、アイドルという産業に起きるのかもしれない。
そんな騒がしいアイドルの世界とは距離を置いた特異な少女がいる。彼女の名前は南波志帆。17歳という年齢と可愛らしい容姿を考えれば、彼女もアイドル扱いされても不思議はないのだが、そうした文脈で語られることは少ない。それを躊躇させるような独特の雰囲気が彼女にはあるのだ。
南波志帆は、2008年にミニ・アルバム「はじめまして、私。」でインディーズのLD&Kからデビュー。元Cymbalsの矢野博康のプロデュースのもと、キリンジの堀込泰行と堀込高樹、NONA REEVESの西寺郷太と奥田健介、宮川弾、土岐麻子、コトリンゴが楽曲を提供してきた。レーベルカラーもあり、どちらかというと渋谷系以降の流れを汲む音楽を好むような人々に愛される存在だった。
その南波志帆が、メジャー・デビューを果たしたのがミニ・アルバム「ごめんね、私。」だ。タイトル曲の「ごめんね、私。」のビデオ・クリップは、数々のメジャー・アーティストの作品を手掛けてきた児玉裕一が監督を務め、ふたりの南波志帆が登場する不思議な世界。どこか「時をかける少女」のようだ。
プロデューサーは矢野博康、そして作家陣も前述の土岐麻子、宮川弾、コトリンゴ、堀込高樹に加え、G.RINA、堂島孝平、SUEMITSU & THE SUEMITHの末光篤、おおはた雄一などが参加し、ますます音楽ファンが作家陣だけで買ってしまいそうな作品となっている。松江潤、NONA REEVESの小松シゲル、渡辺シュンスケ、桜井芳樹、田村玄一も演奏に参加している……と書けば、ますます玄人受けするだろう。
とはいえ、マニアの嗜好品にならないポップさとポピュラリティが「ごめんね、私。」にはある。矢野博康が作編曲した「ごめんね、私。」は、ストリングスとともに南波志帆の清廉さを見事に引き出しており、メジャー・デビューを飾るのにふさわしい楽曲だ。宮川弾が作詞、作編曲をした「スローモーション」は、かすかに80年代アイドル歌謡の匂いをさせつつ、非常に洗練されたサウンド。コトリンゴが作詞作曲した「会いたい、会いたくない」は、南波志帆の甘いヴォーカルの魅力を強烈に印象付ける。堀込高樹が作詞、作編曲をした「お針子の唄」は、和風のテイストが漂う異色のワルツ。「シャイニングスター」はテクノポップだ。「Bless You, Girls!」はブラスが心地良く響くソウルっぽい楽曲。「楽園にて」を作曲した末光篤は、木村カエラが昨年の『第60回NHK紅白歌合戦』で歌った「Butterfly」を作編曲した人物だ。おおはた雄一が作詞、作編曲、演奏までをすべてしている「光の街」でアルバムは幕を閉じる。「これから どんな 物語が / 僕らを まっているんだろう」という歌詞とともに。
事務所がホリプロ、レコード会社はポニーキャニオンと、メジャーになった彼女が今後どういう存在になるかはまだ未知数だが、「ごめんね、私。」という音楽作品にはインディーズ時代の良質な部分がしっかりと継承されている。とにかく芯がブレることなく楽曲のバラエティが豊かで、贅沢な味わいがある。欠点は隙がないところ、と言いたくなるほどの強固な世界だ。
実在するのに架空の存在のような現実感の無さ。彼女を「アイドル」と形容し難いのは、その音楽性に加えて、ある意味で浮世離れした雰囲気のせいだ。私は南波志帆の実像をまったく知らないのだけれど、それで充分だと思わせてしまう優しいバリアがあり、しかしそれはとても透明感に溢れていて不満を抱かせない。彼女は極めて希有な存在だ。
そして10年7月4日、私はタワーレコード新宿店でのリリース・イベントへと足を運んだ。バックはドラム、アコースティック・ギター、キーボードという編成の生バンド。振り付け未満のアクションを加えて歌う南波志帆の魅力は、「会いたい、会いたくない」での歌声で一気に発揮された。そして、「ごめんね、私。」での彼女は、意外にもロック・アーティストのような凛とした雰囲気。一方で、笑いを狙ったMCで外してしまったときの照れ笑いも実にキュートだった。書いてくれたサインはしっかりとした楷書。南波志帆は書道毛筆10段なのだ。
オリコンの週間アルバムランキングで初登場155位と数字は厳しかったが、その日のサイン会の列は30分を過ぎても途切れず、充分にファン層の伸びしろを感じさせた。09年にリリースされた前作のタイトルは「君に届くかな、私。」だったが、そう、あの彼女の可憐な姿と歌声がもっと多くの人に届けばいいのに。
アイドル戦国時代の戦場から遠く離れたユートピアとして安らぐことができる幸福な場所、それが南波志帆の「ごめんね、私。」なのだ。