旧約聖書によると、人類が服を着るようになったのは、人類の祖先にあたるアダムとイヴの夫婦が、知恵の実を食したからだという。現実の問題として、人類が進化のどの過程で現在のような羞恥心を身につけたのかは定かではないが、入浴などごく一部の行動を除き、全裸で生活するのは「非常識なこと」とされる。
全裸で生活する習慣が近代まで存続した地域に対しても、植民地として獲得した国々による「文明化」が行われ、その結果として、いまや地球上のほとんどの地域で、全裸で生活することは処罰の対象となっている。欧米ではヌーディストビーチなど、「脱衣文化」の支持者のための限定的な区域が新しく誕生しているところもあるが、日本国内にその類のものはない。
一方で、現代人にとって、プライベート空間も必須のものとされており、実際に司法も、「プライバシー権」を、尊重すべき人権の一部として認めている。したがって、自宅の居室など、「プライベートの空間」においては、たとえ全裸でいてもそれを咎められるべきではない、というのが社会通念となっているといえよう。
09年10月、自宅で全裸になっていた男性が、その姿を通行人の女性に目撃されたために通報され、逮捕されるという事件が米国バージニア州で起こった。台所の窓などを開放していたために「故意に公衆に裸体を露出した」という疑いももたれ、一度は米国の公然わいせつ罪で有罪となる判決も下されたものの、陪審員らに判断を委ねた本年4月7日の裁判で無罪を勝ち取った。
男性は、
「半年間のしかかっていた重圧から解放された」
と言い、安堵の表情を浮かべたという。
ところで、ヌーディストビーチの存在しない本邦にも、「家では全裸で生活している」という人は一定数存在する。その中にはストリーキングを性癖とする者もいるが、大多数は、「基本的に、外では脱がない」という善良な市民である。筆者の知り合いにも、いわゆる「ゼンラー」の男女が数名おり、また筆者も、休日をまる一日、自宅で全裸で過ごすことは多い。
米国では無罪となった今回の事件だが、日本で同様のケースが発生した場合、罪に問われる可能性はあるのだろうか。都内在住の弁護士の男性に話を聞いてみた。
「自宅で全裸でいること自体が罪になることは、通常ない。が、通りや隣家に面しており、かつ人目につきやすいマンションの1階(歩道橋などがある場合は、それ以上の階であっても該当)などで、カーテンを閉めずに全裸でいた場合、猥褻物陳列にあたる可能性はある」
ということで、たとえ全裸になった場所が自宅の敷地内であっても、故意の露出の場合には有罪に問われる可能性があるとのことであった。
それでは、世界一億人以上の「ゼンラー」たちの悩みの種ともなっている、急な来客への応対というシチュエーションはどうなるのだろう。宅配便を受け取る場合や、セールスなどが訪問してきた際に全裸でいることは罪になるのか。
「基本的に、罪にはあたらないと思う。ただし、たとえば男性の場合、怒張したモノを宅配便の配達員に見せたりするのはセクハラにあたるため、刑事のほか、民事で訴訟となる可能性もあり、注意したい」(前同)
とのことで、全裸を異性に見られたとしても「性的な行動」に及んではならないというのが、ゼンラーとして必須の心構えだということである。また、「女性が全裸で応対するなどといったことは防犯上危険であり、トラブルを避けるためにも、何かを着てから応対するべき」とのごもっともな一言も。
なお英国では06年、周囲から確認できる自宅裏庭というロケーションで全裸で日光浴をしていた女性が、無罪判決を勝ち取っている。本邦においても08年10月、よりにもよって東京の中心・皇居の周辺を全裸の外国人が徘徊した事件があったが、「精神的に不安定であった」などの理由もあり、同件では男性は「無罪放免」となっている(これについては、立件され有罪となる可能性も十分あったために、決してマネをしないように注意してほしい)。
ちなみに、筆者の友人のゼンラーたちの場合、「遊びに来た友人が5分で帰った」ことはあるが、通報されたことはないという。
「全裸でいるとセールスがすぐ退散する」(男性ゼンラー、28歳)
「免疫力がつくし、洗濯物が減る」(女性ゼンラー、26歳)
など、その利点を強調するゼンラーがほとんどだ。
筆者の場合には、全裸で応対した宅配便の配達員がやたらと「ごめんなさい」を連呼していたのが記憶に残っている(もっとも、謝るべきなのはこちらなのだろうけれど)。偶然にも窓から全裸生活を目撃されたこともあるが、幸いにして通報されてはいない。
たとえ無罪判決を勝ち取れたとしても、ひとたび訴訟を起こされれば、社会的な地位は失墜し、また相当の負担が生じるのも事実。我ら日本のゼンラーにとっては、近隣との人間関係、またその生活スタイルを理解してもらうことこそが、最も重要なものなのだろう。
是非、実現を!