一昨年、アメリカ東海岸で女性たちを身震いさせた殺人事件が起きた。
アメリカで一番人気のインターネット掲示板サイト「craigslist.org(クレイグズ・リスト)」の「エロティック・サービス(このページは事件後廃止された)」欄に広告を載せていた「マッサージ師」の女性が、このサイトで会ったと見られる人物に殺害され、所持金を奪われたのである。
その後、別の女性も同じサイトで知り合い、高級ホテルで会った男性に同じ手口で手足を縛られ、所持金を奪われた。米ABCニュースによると、暴行を受けたものの殺害されなかった一人目の被害者は、「私が殺されなかった理由は、犯人の言うことに抵抗しなかったからよ。彼の言うことにすべて従った、ただそれだけ」と語っている。残念ながら暴行を受けた後に拳銃で撃たれて死亡したのが、二人目の被害者である。犯人は「Craigslist Killer(クレイグズリスト・キラー)」と呼ばれ、女性たちを震撼させた。その後、同じ東海岸のロードアイランド州で同じ手口の強盗事件がおき、「新たな連続殺人犯が登場か?」と大きな話題になった。
警察は後に、ホテルの監視カメラやこの掲示板サイトに登録されたEメール、携帯電話の番号などから、容疑者が割り出された。そして、その容疑者とは、きちんとした家庭出身で、ボストンの有名大学に通い、婚約者もいる優秀なプレッピー風の医学生だったのである。ボストン警察は彼の犯行をギャンブルの借金を返すためのものと見ており、セックス目的ではなかったと考えている。しかし、「クレイグズリスト・キラー」と見られるフィリップ・マーコフ容疑者は、犯行後「お土産」として被害者のパンティーを持ち帰り、医学書に穴を開けてその中に保管しておくというマニアックな一面もあったというから、逮捕されなければ彼が本当に連続殺人犯となっていた可能性も充分に考えられる。このように、いい家庭で育ち、普通と思われる人間でも、何がきっかけで人生が狂うか分からないものなのである。そして、インターネットはそんなきっかけをさらに簡単にしているのだ。
「時間をかけて相手を知る」というプロセスを無視してセックス行為に走るアダルト出会い系サイトでは、誰がどんな嘘をついているかまったく分からない。セックスだけが目的の相手に、ご親切に自分の正直な情報を教える人などいないだろう。そして、肉体関係を持った結果として相手に情が移ったとしても、そんな場所で出会った人間と恋愛関係を築けるかというと、それはかなり難しい気がする。
前出のアメリカ人女性、ジェシカは、インターネットで出会った知らない男たちと一夜の逢瀬を繰り返していたある日、出会った男の部屋に入るなり乱暴な扱いを受け、手足を縛られて目隠しをされてから、身の危険を感じてこのライフスタイルから足を洗ったという。今は普通に出会った男性とデートをしており、危ない一夜の出会いを求めていた頃のことは、もう遠い思い出になっているようである。
怖いとも言えるのは、セックス目的の出会い系サイトに出入りし、そのサービスをフルに利用している人であっても、このジェシカのように、サイトに載せたプロフィールや掲示したメッセージを削除し、そ知らぬ顔で普通の生活に戻ることができるという事実である。そして、自分さえ何も言わなければ、よほどのことがない限りそんな事実が周りにばれることもないだろう。インターネットで気軽に、性関係だけを目的で出会うという事実自体を「結局、男女の目的なんてそれなんだから。私は正直になっているだけ」という言い訳で終わらせることだってできる。インターネットというものがここまで普及し、サイバースペースを通して誰かに会うことに抵抗感がなくなった今、そんな関係を「これも一種の出会いだから」と罪悪感もなく軽く処理することも可能だろう。
一見普通の人々が、自由な性関係、または金銭目的で走る出会い系サイトは、お互いの目的が一致し、合意の上で人々が出会うきっかけではあるかもしれない。自分の人生をどう生きようと、他人に迷惑をかけなければ、それは個人の自由であるとはいえる。しかし、あなたは本当に、そんな刹那的な性関係を求めているのだろうか? そして、自分の将来のパートナーが、過去に同じような行為をしていたとしたら、それをあなたは容認できるだろうか。いったん立ち止まってよく考えてみてほしい。自分が本当に求めているのは、吐き出すような一夜の関係なのか、それとも、もっと自然な出会いと、そこから生まれる温かく深い恋愛関係なのか。連続的な性のランデブーを繰り返す人間の心には、本当は何か別に渇きの理由が、そして他に求めるものがあるのではないだろうか。見知らぬ人々との一夜の出会いを繰り返しているうちは、多分純粋な恋愛に目が向くことはないだろう。これも人生の通過点といえば簡単であるかもしれない。しかし、あなたはもしかしたら、それによって今大切なものを見逃してしまっている可能性もあるのだ。
(文=相馬 佳)
多くを貪る人は多くを欠くなり