AVライター・雨宮まみの【漫画評】第13回

大声で叫びたい「このマンガがすごい!」 『べしゃり暮らし』が見せる笑いの世界

大声で叫びたい「このマンガがすごい!」 『べしゃり暮らし』が見せる笑いの世界の画像1『べしゃり暮らし 8』著:森田まさのり/集英社刊

 M-1人気にあやかってこのページのアクセス数が増えたらいいな~、なんてせせこましいことを考えて……ないわけでもないですが、今このタイミングで読んでほしい作品を紹介します。『べしゃり暮らし』(著:森田まさのり/集英社刊)です。

 「お笑い」について私が最初に真剣に考えたのは、M-1を観たときでした。私はお笑いに詳しくないので、テレビで観たことのある人もいれば全然知らない人もいた。普通に観て、普通に笑ってたら、一緒に観ていた人が言うんです。

 「このコンビの笑いはずるい、下ネタに走りすぎ」「このコンビは上手い」「こいつらはない。なんで決勝残ったのか」……。

 びっくりしました。お笑いに「面白い」「面白くない」があるのはわかる。決勝に出てくる人たちはみんな「面白い」んじゃないのか。「面白い」中にも「上手い」や「下手」や「ずるい笑い」なんていうのがあるのか、と。それまでそんなことは考えたこともありませんでした。

 それから、ネットでお笑いのことを真剣に論じている人たちの文章もよく目にするようになりました。誰が本当に「面白い」のか、一見面白そうに見えて売れてるけど、あいつは本当は面白くない、とか、いろいろなことが書かれていました。何にも考えずに観ていた自分には、驚くことばかりでした。納得できることもあれば、よく知らないこと、わからないこともあった。もちろん、愛情溢れる論評もたくさんありました。愛情があるがゆえに厳しい意見を書いている人もいた。
 でも、そういうものを読めば読むほど「この人たちは本当に面白いのか?」という目で観れば観るほど、私にとって「お笑い」はシリアスなものになってゆきました。他人事だったM-1の会場の緊張が他人事ではないように思えてきたし、自分のお笑いのセンスはぬるいのかもしれない、とも思い始めました。「自分は笑えるけど、本当にこの人たちはすごいのかな?」とも思いました。自分の「笑い」を感じるセンスに自信がなくなったのです。

 そんなときに出会った本がこの『べしゃり暮らし』です。お笑いのことを描いたマンガだと聞いて「そんなマンガがあるのか!」と驚きながらも、「もうお笑いについての講釈や、何が面白いのかなんていう話は読みたくない」という気持ちがありました。しかし、作者は森田まさのりです。『ろくでなし BLUES』の、『ROOKIES』の、森田まさのりです。不良マンガで有名な森田まさのりが、いきなりお笑いマンガを描いているのです。それは、何かないはずがない。

 読みました。読み始めるとふるえるようでした。新しいマンガがあると思いました。お笑いについて、ここまで踏み込んで描いたマンガはない。

 笑いのセンスというのはかなり生理的なものです。私は普段、エロ本でAVのことを書く仕事をしていますが、どんなに理性的な人でも、エロに関することになると、受け付けないジャンルは問答無用で受け付けないようなところがあります。エロに関する感覚は、ものすごく生理的なものでしょう。笑いについての感覚も、それに近いものがあると私は思います。

 「お笑い」について描く、ということは、その生理的な感覚の領域に踏み込むことで、ものすごく危険なことです。これは、お笑いが少しでも好きな人なら誰しもわかることでしょう。

 「お笑い」のマンガなら「お笑い」にまつわる人情の話、芸人の意地や誇りの話、そういうものが描かれるだろうということも想像できると思います。しかし、芸人の誇りだなんだと言っても、そこに描かれている「ネタ」がつまらなかったら説得力がない。お笑いについて描くということは、そこを描く力をも試される。お笑いマンガを描くということは、まず「何を面白いとするか」というセンスに始まり、「どういうネタを描くか」、そこも読まれるわけで、描く前から何重にも分厚い壁が立ちはだかっています。

「お笑い」に関する芸人さんたちの話は面白い。そこかしこで聞こえる有名な芸人さんたちの伝説を聞いていれば、誰もが思うことでしょう。でも、それを「描く」ことは、とてつもなく難しい。

 芸人さんは「面白くない」と思われたらひとつも笑ってもらえない。それは、マンガでも同じです。「このネタつまんない」と思われたら「お笑いマンガ」としては終わりです。こんな恐ろしい壁に、誰が立ち向かおうとするでしょうか。

 『べしゃり暮らし』は、そんな壁を軽々と乗り越え、読む者のそんな心配をはるかに越えた安心感の中で素直に作品に夢中にさせてくれる、すごい作品です。

 『べしゃり暮らし』は、「学園の爆笑王」と呼ばれている高校生の主人公が、本当に人を「笑わせる」とはどういうことなのか考え、ひとつずつ壁にぶつかっていく物語を軸に、さまざまな芸人たちの姿が描かれています。ネタについては、もしかしたらごまかすこともできたかもしれない。そこを描かずに、芸人の人情話や、芸人を目指してのし上がっていく高校生の熱い話だけでも十分面白いマンガは描けたかもしれない。でも、森田先生にとって、そこを「描かない」という選択はなかった。そこを「描かない」なんて、たぶん一度も考えなかったのでしょう。森田先生は、この作品を描くためにNSC(吉本総合芸能学院)に入学したそうです。

 この作品の中には、「何が面白いのか」を考えるときに必ずついてまわる問題がいろいろ描かれています。一発ギャグ、関西弁、キャラの立て方まで描いてある。芸人が誰かをネタにすること、ネタにされた「誰か」がそれを聞いてどう思うかということ。そして「コンビとは何か」「相方とは何か」、そういうことも含め、厳しく、あたたかいお笑いの世界が生き生きと描かれています。

 『べしゃり暮らし』を読んでいると、お笑いを観てただ面白くて笑い転げていたときの感覚が戻ってきます。これだけお笑いについて、いろいろ描いてあるのに、です。別に自分はお笑いの評論家じゃないんだから、面白かったら笑えばいい。何が「面白い」のか考えすぎてこんがらがった頭の中に、そういうシンプルな「お笑いが好きだ」という感覚がすとんと戻ってきます。そして、その感覚はこの作品を読む前よりもずっとあたたかく、熱を持ったものになっている。

 芸人さんたちが、裏側の努力や伝説だけがすごいのではなく、ネタそのものやトークそのものが「面白い」のと同じように、この作品もまた、描かれている世界や描かれていることそのものだけがすごくて面白いのではなく、作品そのものが「面白い」です。頭で考えて理屈で感じる「面白い」ではなく、心からひきこまれ、登場人物と一緒に泣いて笑って読める「面白さ」があります。

 最新作が代表作。この言葉がいちばん似合うマンガ家は、森田先生なのではないでしょうか。

 現在9巻まで出ていますが、1巻から順に読んでいくと、9巻には全身に鳥肌が立つような1ページがあります。ここまででも十二分に面白いのに、『べしゃり暮らし』は、ここからが「本当の始まり」なのです。読むなら今、やっと物語が本当の始まりを迎えた今が最高でしょう。

 蛇足ですが、ライターにとって最高の瞬間というのがあります。それは、素晴らしい作品に触れ、何度も読み返せば読み返すほど、言葉にできない感情がからだの中に満ちてゆき、何も言葉が出てこず、涙だけが出てくる瞬間です。言葉が出てこないのは、とても困ることなのに、そんなことよりもその作品に触れる喜びのほうがずっと大きい、そんな瞬間です。

 そんな瞬間を何度も体験させてくれるこの作品と、森田先生に感謝の気持ちを捧げたいと思います。

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