AVライター・雨宮まみの【漫画評】第7回

普通の恋愛の普通のトラウマが男も女も縛り付ける、四コマの傑作『バツイチ30ans』

batsu1.jpg『バツイチ30ans』小池田マヤ著/祥伝社

 四コママンガの傑作といえば、オールタイム『自虐の詩』(業田良家 著/竹書房)か『ぼのぼの』(いがらしみつお/同)か、っていうくらいこの二つの名前が挙がりやすい。しかし、もちろん他にも傑作はある。小池田マヤは、非常に優れた四コママンガの描き手であり、四コマでありながら深いストーリーを描く手法を取っている(現在は四コマでない作品も描いている)。

『バツイチ30ans』も、実は最初の単行本が出たのは1999、2000年(最初は全二巻だった)で、その二巻を一冊にまとめた本が発売されたのが2005年。年代的には決して最近の本だとは言えないし、小池田マヤには他にも『…すぎなレボリューション』(講談社)や『聖★高校生』(少年画報社 )といった傑作がある。しかし、初めて彼女の作品に触れる人にはぜひこの作品をおすすめしたい。一巻完結という手軽さもあるが、彼女が一体どういうものを描いているのかが端的によく現れている一冊だと思うからだ。

『バツイチ30ans』は、離婚して職場復帰した佐々笹子30歳が、中学生時代の同級生・河野豪に再会するところから始まる。河野豪も実はバツイチなのだが、30歳でフリーター、好きなことをやって身軽に生きている(ように、笹子の目には映る)。笹子はそんな豪に惹かれるが、途中でそれは恋愛感情ではなく「バツイチになって自分らしくなくなってしまった自分を、豪と付き合うことで変えてもらおうと思っていた」だけだと気づく。

 これを読んでグサッと来ない人がいるだろうか? 多くの人は、自分にないものを持っている相手に憧れ、自分のイヤなところを軽々とクリアしている相手に憧れ、相手とつきあうことで自分を「変えて欲しい」と思うところから始まる恋愛を経験しているのではないだろうか。この作品は「それは恋愛じゃない」と言い切る。

 笹子は淋しさを埋めるために、独身時代に言い寄ってきていた三上とちょくちょく会うようになる。ただの金持ちのボンボンで、恋愛ごっこを楽しむには手頃な相手だと思っていた三上にも、当たり前だが一人の男としての悩みもあれば、考えもあった。そのことに気づいた笹子は、さらに「なにもないのは自分だけだ」と自分を追いつめていく。

 そんな笹子の頭の中に、高校時代に豪に言われた言葉がフラッシュバックしてくる。「翔んでみせろよ 佐々」と。

 結婚には懲りた、独りは淋しい、三上はいるが浮気性だし、豪にはやりたい仕事がある。「翔ぶ」どころか「沈む」ばかりの自分に笹子は苛立ち、苦しんでいく。そんな笹子に、豪は「中学の時の佐々は俺の理想だった。自分を持ってて憧れてた。なのに再会したら淋しいとか不安とか泣いたりしてがっかりした。三上なんて男に頼ってる佐々は見たくなかった。お前はほんとはそんな女じゃないだろう?」という、とどめの言葉を投げつけ、笹子は決定的なダメージを受ける。

 自分にも弱いところも淋しいところもあるのに、親友だと信頼していた豪はそれを見ず、カッコつけた外面だけを見てそれに勝手に憧れ、自分を偶像化していたことを知り、笹子は本格的にパニックに陥る。

 ここからの描写は凄い。四コマの中に走りまくるブラックノイズ。笹子の心象風景として描かれる日常はあまりにも息苦しく、絶望的だ。塗りつぶされるように黒い線が笹子の日常を走りまくる。自分自身が何者で、どうしたいかもわからない。人生この先どうしたいのかもはっきり言えない。なのに「翔んでみせろよ」という豪に押し付けられた「豪の理想の笹子」が、現実の笹子を苦しめる。

 笹子には、何も変わった経験やトラウマがあるわけではない。過去の失敗や自分の嫌なところにとらわれ、身動きできなくなることは誰にでもある。つらくて他人によりかかることも、あっていい。なのに「理想の笹子」でいなければという強迫観念が、今の笹子を「ダメだ」と責め続ける。

 こういう恋愛のトラウマは、誰にでも起こりうるし、誰にでも少しはあるのではないだろうか。何もドラマチックな悲劇が起こったわけではなくても、ただの、普通の、ささいな恋愛の傷がずっと棘のように刺さり、それに縛られて自由になれず「こういう自分でいなければいけないのではないか」と無理を重ねてしまうこと、そんな「普通の恋愛のトラウマ」を小池田マヤは描き、笹子がその呪縛から自分自身を解き放っていく様子を描く。そして、その「理想の笹子」を押し付けた豪の側の心情まで描いていく。

 恋愛はエゴイズムで、思い込みで、でも、それだけではないのだという、不毛なものではないのだという激しさがこの作品にはあって、最後は本当に四コマの枠をぶち破って笹子の解放を描いていく。

 今回改めて読み返すと、これは「大人のエヴァンゲリオン」みたいな話だと少し思った。自分を縛る呪縛、自己嫌悪、求められる理想の自分、それから解き放たれて等身大の自分を手に入れるための戦い、描かれる場は日常の社会生活だが、そういう人の心の微妙な部分のことを、これだけ描く手腕は凄いと思う。

 小池田マヤはこの作品のみに限らず、恋愛と自意識の問題、セックスと自意識の問題に、深く深くダイブしていくような作品を描いている。一見、そういうことを描いている作家は多いように思えるが、そんな中でも彼女は非常に稀な作家だと思う。思春期や青春時代だけではない、大人になってからもつきまとう「大人の自意識と恋愛」を描き、浮気のセックスや二股なんかも当たり前のように出てくる。欲望があればそんなこと当たり前にあることだ。その「当たり前」の苦しみや、「当たり前」を自分の中でどう咀嚼していくのか、壊れながらも自問自答して乗り越え生きていく人間の姿を描く、強い生命力を持った作品群にはグイグイと引き込まれずにはいられない。

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