昭和の真面目なセックス専門誌「夫婦生活」とは
昭和24年5月、戦後の混乱が残るさなかに1冊の月刊誌が創刊された。戦後の出版史にその名を残す、性生活専門誌「夫婦生活」である。
当時の出版界では、セックス関連記事などを扱った娯楽性の強いいわゆる「カストリ雑誌」が全盛期を迎え、その数は1000点に迫る発行部数を誇っていた。だが、セックス関連記事が人気だったのは、何もカストリ雑誌においてだけではない。当時、戦後の不況下で雑誌が売れない時期に、性生活をテーマにした記事を載せるとそこそこ売れることがあった。「では、いっそ性生活の専門誌を作ってみよう」という発想から生まれたのが、この「夫婦生活」である。創刊号は、B5判144ページというコンパクトなサイズ。発行元は、創刊のために設立された夫婦生活社。誌名はそのものズバリ、性生活を意味している。
創刊当時の事情について、同誌初代編集長だった故・末永勝介氏(後に大宅壮一文庫専務理事・2002年に78歳で逝去)にお聞きしたことがある。それまでのカストリ雑誌が、どちらかというと娯楽性にのみ重点を置いていたのに対し、「夫婦生活」では内容の充実を最優先とした。そこで、あえて硬派なテーマを取り上げ、記事の執筆者も東大や慶応大の専門の医学研究者や、家庭裁判所の調停委員といった、まるで学術書のようなメンバーがそろえられた。ほかに、セックステクニック指南のような娯楽性のある記事も掲載されたが、やはり全体としては硬い誌面作りだった。
信頼性の高いセックス情報で大人気に
こうして出来上がった「夫婦生活」創刊号だったが、取次に持ち込むと「こんな内容では売れない」と冷ややかな対応だったという。「それでも何とか頼み込んで扱ってもらった」(末永氏)という創刊号7万部のうち4万部は、予想に反して発売当日に完売。編集部に積み上げられていた残りの3万部も、殺到した注文で瞬時にして売れた。それでも、読者ばかりか書店からも問い合わせが後を絶たなかったため、2万部を増刷するという雑誌としては異例の事態となった。その際、白い表紙に「夫婦生活」とだけ印刷したものを発行した。すなわち、「夫婦生活」創刊号は2種類のパターンが存在するのだ。
セックスという関心の強いテーマが存在するにもかかわらず、当時は信頼できる性知識というものは本当に少なかった。そこで末永氏は、内容の充実したものであれば必ず関心を引くと考えた。「セックスを扱った雑誌は氾濫していたが、まともに読めるものは少なかった。だから、記事内容にはとにかく力を入れて作った」という末永氏のヨミは、まさに庶民のニーズを的確に捉えたものといえよう。
こうして想定外の好スタートを切った同誌は、以後も権威ある大学教授や研究者を執筆人にそろえた。たとえば、避妊手術の世界的権威である慶応大教授の金子榮壽や、性感染症の専門家として知られた、同じく慶応大の田村一などは常連であった。ほかにも、ジャーナリスト大宅壮一を始め、第一級のエキスパートが記事を執筆した。
硬派ながら充実した内容に、版元は「出せば売れる」という勢いで発行を続け、創刊半年後には発行部数35万部に達する。当時、文芸総合誌トップの「文藝春秋」(文藝春秋)ですら20万部であった。その後、昭和30年にいったん休刊するものの、2年後に復刊。以後、休刊や復刊を繰り返し、昭和57年頃まで発行された。30年以上にわたり、「夫婦生活」は性生活のバイブルであり続けたのである。
(橋本玉泉)