改札を出ると、少し潮の匂いがした。見上げると、太陽がギラギラと輝いている。晴れているが、風が涼しい。夏の残暑がまだ微かに残る九月、僕は神奈川のとある駅に来ていた。
「あ! ここにいるよ!」
耳に当てている携帯から、明るい声が響く。目の前に、僕と同じように携帯を耳に当てながら、大きく手を振っている梨香がいた。今日、僕はついに梨香の一人暮らしの家に行く。
「ごめん待った?」
「んーちょっと待った」
梨香がいたずらに笑う。
「マジで? でも二分くらいしか遅れてないじゃん」
「でも遅刻は遅刻でしょ?」
「あれ、三十分くらい遅刻したのは誰だっけな~」
「もう! それはもう許してもらったやつだから!」
今日の梨香は白のワンピースにカーディガンを羽織っていた。前とは違う女性らしい姿に、胸がドキドキする。
「今日、なんかいつもと雰囲気違うね」
「ちょっと涼しくなったからね」
涼しくなったからワンピース、というのは僕にはわからなかったが、季節に合わせて服装を変えているということなのだろう。
「そしたらこっち」
梨香はそう言って家に向かって歩き始めた。僕はその梨香の後ろをついて行く。
梨香のスカートがひらりと揺れる。涼しい風が僕と梨香の間を通り過ぎたような気がした。初めて会ったときに汗でTシャツが透けてブラが丸見えだった梨香の背中には、今日は何も透けて見えない。季節が変わり始めているという実感を、梨香の体を見て感じる。
夏から秋になるという、毎年繰り返されていること。当たり前な季節の変化。
なのに、僕の胸にはザワザワとした不安が広がっていく。季節が変わること。それはなんだか、この後、僕と梨香の関係性が変わってしまうことを示唆しているような前触れに感じた。
キスして。もっと深く。ベッドで愛して。
梨香の好きなバンドの曲の中に書いてあった歌詞。この曲がきっかけとなって、僕と梨香はキスをした。二回目のカラオケでは、梨香が「深く」咥えてくれた。まるで僕らはその曲に合わせるように、スタンプカードを押すように、関係を進めていた。
梨香に会うのはこれで三回目。そして残ったのは「ベッドで愛して」。
今日、僕は梨香の一人暮らしの部屋に行く。おそらくそこに、ベッドはあるだろう。
キスして。もっと深く。ベッドで愛して。
そのスタンプカードが揃ったとき、次に僕らはどんなスタンプを押していけばいいのだろうか。
また僕と梨香の間に風が吹く。僕はそれを切り裂くように歩き、梨香の隣に並んだ。
「家までどれくらいで着くの?」
「すぐに着くよ」
すぐに着く。おそらく家に着いたら、僕はすぐにベッドに梨香を押し倒してしまうだろう。
「梨香」
「なに?」
梨香はそんな僕の性欲に気づいているのだろうか。
そして、ベッドで愛した先には、どんな未来が僕らを待ち受けているのだろうか。
「家に行くの、めっちゃ楽しみ」
「えーそんなに?」
恥ずかしがりながら笑う、梨香の笑顔。まるで夏の日差しのような、笑顔。
その笑顔とは対照的に、僕の心は夏から秋になって行く季節と同じように、穏やかになっていく。
梨香の家に着いた。
(文=隔たり)