昭和エロ遺産<三行広告>
目次
・テレクラやカップル喫茶を盛り上げた三行広告
・ホテトルや大人のパーティなどの「営業」広告
・首都圏限定の裏風俗「大人のパーティ」
・三行広告の業者はボッタクリ?
・「裏ビデオ販売」「生OK」三行広告の過激化
・「大人のパーティ」「裏ビデオ販売」三行広告の終焉
【文=橋本玉泉(@H_gyokusen)】
1963年、横浜市出身。トラック運転手、学習塾講師、経営実務資料の編集、フリーペーパー記者など数多くの職を転々とした後、91年からフリーライターとして活動。事件や犯罪に関するレポートや歴史・文化などの記述も多い。『メンズサイゾー』では性に関する習俗、話題、事件や、偉人たちの性癖を赤裸々に綴った『日本のアダルトパーソン列伝』などを執筆。
テレクラやカップル喫茶を盛り上げた三行広告
かつて全盛を誇ったアングラなエロや風俗を語る上で、言及しなければならないもののひとつが、いわゆる三行広告である。
その名の通りに三行という情報量によって構成された広告のスタイルは、すでに明治期の『朝日新聞』などに見られるが、そんな歴史の資料みたいな説明は無意味であろう。通常、三行広告といえば夕刊紙やスポーツ新聞に掲載されている、一見しただけでは内容がよくわからない、怪しげな広告を指すのが一般的だ。
そして、三行広告でも、媒体によって内容がかなり異なる。まず、スポーツ新聞に掲載の三行広告は、アルバイト募集などの求人関係やテレクラやカップル喫茶等の宣伝広告がほとんどである。
だが、求人といってもジャンルに特徴があり、風俗店の従業員や新聞拡張員、さらに変わったところではゲイ雑誌向けの男性ヌードモデルの広告も多かった。
実は以前、筆者はこの男性ヌードモデルの求人に応募したことがある。収入減での生活苦とともに興味も手伝って応募した。だが、顔立ちが良いわけでもなく、スタイルや肉体に優れているわけでもない筆者は、電話の時点で次々に断られた。
そして、たった1件だけ、かろうじて面接OKとなったところがあった。簡単な面談と、上半身だけ服を脱いで身体を見てもらったが、結局は不採用だった。男もただ「脱ぎます」で仕事になるほど、甘くはないということをなんとなく理解した。
「テレクラ」 基本的に狭い個室で男性がひたすら女性からかかってくる電話を待つというもの。ネット普及以前の出会い系システムで、男女間で交渉が成立すれば、テレフォンセックスや店外で会うということもでできた。 |
1985年に施行された新風営法によって、非合法商売のホテトルが元気になったという話を前回書きましたが、86年になるとさらにもう1つ、時代を席捲するあるジャンルが登場します。 「800円!」 これをただの「800円」と読んではいけません。いいですか、思いっきりすっとんきょうな声で叫ぶのです!
※2010年に「メンズサイゾー』で「ネットナンパ」連載しているライター・所沢ショーイチ氏が突撃し、体験談を寄せている。
すっかり下火のテレクラ。以前はどの繁華街でも店舗を見かけたものだが、ここ最近はすっかり見かける機会が減ってしまった。テレクラ全盛期をこの身で味わった筆者にとってはなんとも寂しいかぎりだ。テレクラがここまで衰退してしまったのにはいくつかの原因が挙げられるが、
「カップル喫茶」 1995~96年に関西でブームとなり、97年には関東にも進出。「自分たちのエッチを見られたい人」という願望を持つ男女が喫茶店風の店に集い、ハレンチな姿を見せ付け合う大人の社交の場。 |
1995~96年に関西でブームになったカップル喫茶が、97年には怒涛の勢いで東京に進出! というわけで、今回はカップル喫茶です。実に淫靡な世界でしたね。原則、カップル喫茶は男1人では入れなかったので、取材の体で女性編集者と何回か行ったのですが、暗い店内で背の高いソファーが同じ方向を向いて並んでいる中、カップルがイチャイチャ。というよりも、スカートの中に男の手が入り、下着もずり下ろされて、指とアソコの摩擦音が奏でるクチュクチュクチュ。裾がまくれあがってフトモモむき出しで、クチュクチュクチュ。あっふ~ん、なんて吐息も聞こえてきて、いい年をして少年のようにドキドキしたものでした。
※AV女優や風俗嬢、キャバ嬢などを務めた橘まり女史。プライベートでの経験人数は500人以上を誇る彼女が、凄テク男子がいるとのウワサを聞きつけ、突入している。
つい先日、仲良しのカメラマンさんとカップル喫茶にお邪魔してきました。私はプライベートでの経験人数は500人以上なんですが、実は潮を吹いたことがなくって、カップル喫茶にはめちゃくちゃテクニシャンもいるという事前情報を得て、それで(笑)。
ホテトルや大人のパーティなどの「営業」広告
スポーツ新聞には、風俗系の三行広告はかなり少ない。1999年以降、法改正によって認可されたデリヘルの広告が載るようになった程度である。裏風俗などの広告は、ほぼ皆無だ。アングラ的な風俗の三行広告が掲載された例は、筆者が知る限り『九州スポーツ』でわずかに確認された程度である。
求人等のみならず、風俗やエロ系、アダルト関連までをカバーした三行広告が掲載されていたのは、『内外タイムス』『レジャーニューズ』『夕刊フジ』の3紙であった。そのなかでも、量もさることながらバリエーションの豊富さでも群を抜いていたのは『内外タイムス』である。
『内外タイムス』の三行広告は、。風俗関係の「営業」、「お知らせ」「雑件」「SM」「出会いの広場」などのほか、求人関係で「マッサージ」「募集(女子)(男子)(男女)」「スペシャル男子」などがあった。
先に求人関係について簡単に説明すると、「マッサージ」「募集(女子)」は風俗嬢募集、「募集(男子)」は風俗店の男性従業員やピンクチラシのポスティング、送迎ドライバーなどの求人。「募集(男女)」は風俗その他の従業員のほかAVの男優および女優。「スペシャル男子」は前述の男性ヌードモデル募集だった。
風俗関係のメインは「営業」で、出張タイプの風俗で、ホテトルまたはデートサークルと呼ばれた。最寄駅と電話番号、そして簡単なコピーのようなものが記されただけの広告で、独自のレイアウトだったが三行広告として理解されていた。
「内外タイムス」 アダルト面でのホテトルや大人のパーティといった風俗系の「営業」三行広告には定評があった。またビデオや精力剤などの販売系、スワッピングパーティの参加者を募集する「雑件」など、多くのジャンルを網羅していた。 |
去る11月30日、夕刊紙『リアルスポーツ』(旧・『内外タイムス』)を発行していた株式会社内外タイムス社(本社・東京都江東区)が東京地裁へ自己破産を申し立て、同日開始決定を受けた。事実上の倒産である。帝国データバンクや東京商工リサーチなどによれば、負債総額は約26億7700万円とのこと。(編注:同紙公式ウェブサイトは「リアルライブ」と名前を変え、同サイトの運営を担当していたウェブ制作会社「フェイツ」の元、存続)
首都圏限定の裏風俗「大人のパーティ」
そのコピーは多種多様だ。たとえばスナックの看板のような、女性や花の名前などが記されていたりするが、それは屋号でも店名でもない。電話しても、「はい」とか「もしもし」としか言わない。だが、それか普通なので、こちにも問い合わせか、予約するくらいである。
ほかには、サービスの傾向をそれとなく知らせるコピーは多い。よく目に付くのが「人妻」「熟女」という類であり、これはほぼ信用してよい。逆に、「女教師」「ナース」「OL」などといった職業系は、単なるイメージと思ったほうがよかった。以前、現役の中学教師をしている女性の何人かにも副業かアルバイトをすることはあるかと聞いたところ、全員が「無理」「不可能」と答えた。学校教職員の仕事は忙しく、そんな時間的余裕は無いそうである。ナースもまた同意見だった。
ただし、三行広告系ではないが、吉原のソープランドで、アルバイトをしながら風俗で働いている女性には何人か会ったことがある。なので、「OL」は実際にあったかもしれない。
次に「営業」によく見かけたのは大人のパーティだった。これは首都圏限定の裏風俗で、88年ころに都内に出現し、90年代末から2000年代初頭に全盛を迎えた。筆者が調べたところ、92年ころにはJR山手線沿線に12ほどが営業していたに過ぎないが、98年頃になると都内だけでなく埼玉や神奈川、千葉までエリアを広げ、その数も20から30、あるいはそれ以上だったと思われる。
「大人のパーティ」 マンションの一室で営業。男性客は居間には数名の女性のひとりを指名し、別室に移動してプレイ。指名は必ず男性客が行い、女性から誘うことはない。簡単な料理や飲み物などが用意されており、飲食は自由だった。一時は摘発を受けるなどして、壊滅状態だったが昨今になり復活しつつあるという。 |
フーゾクというものを眺めてみると、平成という時代とともに生まれ出て、そして消えていった、あるいは変わっていった形態やジャンルは少なくない。
いわゆるフーゾクに活気がない。一般的なフーゾクがデリヘル一辺倒の傾向というのは揺るぎのないものとなってしまっており、そのデリヘルも過当競争で四苦八苦の店が少なくない。既存のソープランドやヘルスなども、客足が増えずに苦しい状況だ。
少し前の話ですが、昨年11月末に乱交サークルの主催者が逮捕されたというニュースがありました。久々にテレビで「乱交サークル」という言葉を聞きましたが、乱交や大人のパーティーと聞くと思い出す、非常に合理的なパーティーがあったんです。
先日、いつものようにネットで裏風俗の情報を探していた時、もはや日本からは絶滅したと思われた裏風俗を見つけてしまった。「大人のパーティー」だ。大人のパーティーはかつて、三行広告の風俗広告でよく見かけた裏風俗。「ビデオ鑑賞会」などと称し、マンションの一室に男女が集まり、テーブルを囲んでビールなどを飲みながら、男性が女性を選んで別室で一発遊びをするという大人な空間だ。
三行広告の業者はボッタクリ?
次に「お知らせ」「雑件」「SM」だが、このあたりの分類はさほど厳密ではない。「営業」の欄にもSMクラブの広告は多かったし、「お知らせ」「雑件」も同様だった。若干の違いといえば、「雑件」には女装系やフェチ系、スワッピングパーティなど、ややマニアックなものがいくらかあった程度である。
「三行広告の業者は怪しい」とか「信用できるのか。ボッタクリとかはないのか」などと、知り合いなどによく聞かれた。だが、筆者の経験で言えば、三行広告の風俗で、ウソやボッタクリにあったことは一度もない。料金などのシステムは電話で聞けばきちんと教えてくれるし、納得できない料金を請求されたことは皆無である。
「出会いの広場」はデートクラブの広告がメインだった。しばしば混同されるが、デートクラブまたは恋人紹介所と呼ばれるものは、デートサークルあるいはホテトルとはやや異なる。デートサークルは風俗だが、デートサークルはあくまで一般女性を紹介するだけというのが建前だった。なので、顧客はあらかじめ会員登録が必要というケースをよく見かけた。
ただし、その実態はどうなのかわからない。出張系風俗で働く女性から、「週に2回くらい、恋人紹介でも仕事をしている」という話を聞いたことがある。だが、それだからといって、デートサークルすべてが実質的に風俗だったかどうかは不明だ。
三行広告の過激化
次に『レジャーニューズ』だが、こちらは紙面のほとんどが風俗系の広告で埋め尽くされていたというスタイルで、形式としての三行広告はごくわずかだった。だが、その風俗広告の大部分もアングラ系で、ピンクチラシを紙面に張り詰めたような構成だった。なので、内容的には三行広告的だったと考えられよう。
内容的にはホテトルがメインで、大人のパーティなどの広告も盛り込まれていた。何より見やすく使い勝手がいいので、ファンは多かった。」
また、分量は少ないが「文通欄」もあった。いわゆる「出会い系」である。また、「ドッキリする写真 切手代だけで進呈」といった、エロ系実話誌でおなじみのエロ広告が掲載されていたのも、『レジャーニューズ』の特色のひとつだった。
『夕刊フジ』の広告は、スタイルにおいても、まさに三行広告そのものだった。2行または3行、ほかにも5行くらいの広告もあり、ジャンルも『内外タイムス』とほぼ同じであった。
さらに、風俗関係では過激あるいは刺激的なコピーも珍しくなかった。たとえば、電話番号の上に「生OK」などと載せた広告などである。その意味は、推して知るべしであろう。
その他、裏ビデオ販売の三行広告もあった。事務所などで直接購入できる場合には「試写あり」と記されていた。見てから購入できるという意味である。裏ビデオ関係は、ほどなく通販へと移行していく。
こうした三行広告は、90年代後半から2001年ころまでに最盛期となった。この時期、分量だけでなく、バリエーションも豊富になっていた。もしかしたら、三行広告系の裏風俗だけでなく、あらゆる風俗が最も盛んだった時期かもしれない。
「NN」「ぷち」「露」「ふんどし娘」 小さな広告で効率良く集客するために、大胆な見出しが紙面に掲載されていた。 |
ご存じのとおり、令和のニッポン風俗は、デリバリースタイルが主流となっている。それは、デリヘルが登録制となったことと、2000年代初頭の「歌舞伎町ルネッサンス」をはじめとする「歓楽街の浄化と再生プロジェクト」によるものであろう。
「大人のパーティ」「裏ビデオ販売」三行広告の終焉
しかし、そうした時期は長くは続かなかった。
2002年に韓国でサッカーのFIFAワールドカップが韓国で開催されたが、それに伴う健全化の流れで、『夕刊フジ』は一部を除いて三行広告を廃止した。さらに、2004年ころから当局による風俗等への取り締まり強化、いわゆる浄化作戦が進められる。
こうした流れの中で、『レジャーニューズ』が2008年10月に、『内外タイムス』が2009年11月に、相次いで休刊した。これによって、風俗・アダルト系の三行広告は終焉を迎えたといっても過言ではないだろう。
三行広告の激減によって、影響を受けた業種もすくなくないと思われるたとえば、集客のほぼ100%を三行広告に頼っていた大人のパーティなどは、壊滅状態になったと考えられる。
現在でも、スポーツ新聞や夕刊紙にはいくらかの三行広告が掲載されている。だが、かつてのような勢いはない。
筆者が以前、『内外タイムス』『夕刊フジ』をほぼ毎日、そして月曜と木曜には『レジャーニューズ』をそれぞれ購入しては、三行広告を隅々までチェックしていたのは、すでに遠い過去のこととなってしまったことは時代の流れといえようか。
(文=橋本玉泉)