フーゾク最大の敵「デフレ」「本番」「感染症」:ニッポンの風俗史#18

東日本大震災後の風俗業界

 「失われた20年」と呼ばれ、日本経済がデフレスパイラルに陥っていた2011年、日本中を恐怖の底へ突き落とした大災害が起きた。

 3月11日午後、関東から東北、北海道の一部という広範囲を強烈な地震が襲った。東日本大震災だった。地震の揺れ以上に大きな災害をもたらしたのが、巨大津波と原発からの放射能漏れだった。

 震災後、被災地から東京に避難して来た被災者も少なくなかった。その中には、手っ取り早く稼げる風俗に身を寄せる男女もいた。

 事実、東京都内のデリヘルの出店数は、震災の前年まで毎年約200軒づつ増えていたのが、2011年には400軒と倍増していた。これは取りもなおさず、風俗が貧困者たちのセーフティーネットとなっている証拠のひとつといえる。

 デリヘルが急増すると起きたのが、激安デリヘルの急増だった。それまでは、平均60分1万7000円程度だった料金は1万円2000円程度までさがった。下落の原因となったのが、30分3900円という激安店の人気だった。

 30分3900円を謳うヘルスは店舗ヘルス時代からあり、デリヘルに移行してからも同様のシステムで営業していた。が、デフレ不況で人気となり、震災後に店舗数は激増、同様のシステムで営業する店舗も増えていた。

 デリヘルが激安で売るならと、120分6万円の高級ソープランドで、60分3万円というお手ごろコースを設ける店も現れた。高級店には手を出せないが、この料金で高級店の美女と遊べるならという風俗中流層を狙ったシステムだが、好評だったようで、現在でも残してある高級店は少なくない。

 また逆に、90分2万5000円からというような高級デリヘルも現れた。が、その中身は普通のデリヘルと、女の子のレベルもサービスもなんら変わることなく、高級ソープとは逆の結果になった。風俗も混乱の時代に突入していたのだ。

 一方、JKビジネスにも新しい動きがあった。初の「見学クラブ」が横浜にオープンしたのだ。マンガを読んだりケータイで暇つぶしをする女の子を、マジックミラーの向こうにある個室から眺めるだけだが、一部のJKファンの間で爆発的にヒットした。

 利用客の目的は、JKたちのパンチラだった。リクエストすると、指名した女の子がマジックミラーの正面に来て、パンティを股に食い込ませたり、ブラの上からおっぱいを揉みしだく様子を見せてくれ、それを見ながら客は半畳ほどの狭い個室でシコシコと手を動かすのだった。

 後から現れた「JKデッサン」や「JK占い」も同様で、客と女の子の直接的な接点はほぼない。しかし、横浜の見学クラブのオーナーは、労働基準法違反で逮捕されることになった。その理由は、「18歳未満の少年少女を福祉に有害な業務に就かせること」を禁じる法律に基づくものだった。

 

JKビジネスの実態

 2012年になるとJKリフレが急増。添い寝に撮影会、コミュニケーションルーム、カウンセリング、プロレスなど、様々な形態のJKビジネスが登場し、同時に、「裏オプ」や「オイタ」などの隠語が現れた。

 同じ頃、筆者も横浜にあるJKリフレに潜入取材に行ったことがある。もちろん、まだ摘発が起こる前だ。料金は60分6500円で3人のJKが交代でついてくれるコースだった。

 ウルウルした瞳がキレイな高2のこころちゃんは自称処女。このアルバイトは始めたばかりで、コンビニと宅配寿司でもバイトしているという。

 リスカ痕のある高1ののあちゃんは、「なんでもしますよ!」と明るい女の子。ミニスカで腰を跨ぎ背中を揉んでくれた。

 同じく高1のゆまちちゃんは、筆者が「10年くらい彼女いない」と嘆いたら、「ガンバってくださいね」と励ましてくれたのだった(泣笑)。

 どの子も非常にマジメな印象で、タイマーが鳴るとサービスが途中でも急いで中止して部屋を出て行った。その店も、数日後にHPを確認した時は、すでにアクセスできなくなっていた。

 そんな未成年が風俗的な仕事に従事することを憂いたのは日本の親世代だけではなかった。

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