がん闘病中のAV男優・沢木和也インタビュー「すべては息子のために」

――ナンパ作品はセックスだけではなくて、その過程を楽しむ臨場感が必要ですよね。

沢木:そうですね。地方の人は地元でナンパ撮影しているのも観たいようで、東京だけじゃなくていろんな地方に行きました。

――「オラが町に、あの沢木和也が来たぞ!」っていうことですね。それは嬉しいですよ(笑)。当時は制作費も潤沢でした?

沢木:ありましたね。

――近年は外撮りも難しい状況です。

沢木:建物なんかも全部モザイクだよね。

――ナンパからハメ撮りという作品でも、街中で声をかけて少しだけしゃべって「じゃあ、ホテルに行こう」っていう速攻系がほとんどでナンパではなくなりましたね。

沢木:そう、そう。全部、許可を取らないとならないから面倒くさいんでしょうね。どうせ許可下りないし(笑)。

――沢木さんのナンパ作品は口説く過程を早送りしないで観ていました。

沢木:そういうところが楽しいっていう方が多かったです。

――そういう意味では一ジャンルを作った男ですね。

沢木:たまたま、そうなっただけですよ(笑)。

――他の男優さんと違い、プロデューサーっぽいところや監督っぽいところもありますが、制作側にはもともと興味があったんですか?

沢木:全然ないです。たまたまです。ナンパ作品は監督はいらないですから。

――プライベートでもナンパはしていましたか?

沢木:毎日はしていないですけど、プライベートでもしていました。

――ナンパはどんな感じでやっていたんですか?

沢木:集中して2時間くらいやっていました。だらだらやって失敗すると次に気持ちがつながらないから、2時間だったら2時間って決めて、ダメなら明日って切り替えていました。2時間あれば基本的に当たりますから(笑)。

――さすがですね。

沢木:ヤレればいいんですから。

――ナンパした女性とはその後も関係が続きますか?

沢木:かわいかったり、お金を持っていたら続きます。それ以外は続けません。こういう仕事のせいかもしれないですけど、いつも違う女性とやっているじゃないですか。そうすると同じ女性とヤリたくないんです。

――沢木さんしか言えない言葉です。あと、当時の撮影は生ハメが多かったそうですが、どうして生が多かったんですか?

沢木:逆に僕から言わせてみたら「なぜ、ゴムになったんだ?」っていう感じです。撮影現場にはゴムがないくらいでした。急にコンドームをすることになりましたね。

――その境目はいつくらいですか?

沢木:90年代前半です。

――当時は疑似ハメも多かったですよね。観ていて疑似が分かるくらいでした。

沢木:むしろ疑似の方が多かったです。単体女優は疑似が多かったから、男優陣は撮影が好きじゃなかったです。逆に企画撮影の方はだいたい本番撮影なんです。男優としてはそっちの方が楽しかったですね。

――性病は怖くなかったですか?

沢木:全然、怖くなかったです。気にしていなかったです。女性器から緑色の汁が垂れているのに、「生で突っ込んだ」って笑いながら言っていたくらいだから平気だったんでしょうね。クラジミアや淋病は何回かあるかな。でも、気にし始めて抗生物質を飲んで、バリアしたり、イソジンで洗ったりしていましたよ。

――撮影でゴムと生の違いはありましたか?

沢木:感覚は違うし、気分の問題もありました。ゴムを着けている間って冷めちゃうんですよね(笑)。

――沢木さんは撮影が終わったらパッと帰ると聞きましたが、それはポリシーですか?

沢木:残る理由がよく分からなくて(笑)。また加藤さんの話になるけど、一緒の現場で撮影が終わって僕はシャワーを浴びて着替えて帰ろうとしたんだけど、まだ彼はベッドで女優としゃべっていました(笑)。加藤さん、おしゃべりが好きだから。

 この業界は基本的にダラダラしている人の方が多いかも。僕はそういうのがダメだから、とっとと帰るんです。AV界の吉野家みたいな「早い、安い、上手い」。そういう感じですよ(笑)。

――そのキャッチコピーは抜群ですね(笑)。あと、印象に残った女優さんなどはいますか?

沢木:伊藤〇紀ちゃんかな。

――ショートカットの女優さんですね。

沢木:その子は印象に残ってます。〇〇中毒だったんです。

――いや、それはやばいですね。危なくて書けませんけど。

沢木:まあ、そういう変なことがないとなかなか覚えていないですよね。あとは後藤えり子ちゃんかな。僕が住むところをなくしたときに後藤えり子ちゃんのところに泊らしてもらいました。

――いい話です。

沢木:あいつ、ふとんの中で屁をこくんですよ(笑)。

――あの伝説の女優が(笑)。

沢木:そういうことがあると覚えているんです(笑)。

――セックスよりもそういうことは覚えていますよね。

沢木:プライベートではセックスしたことがないからね。最近だと里美ゆりあちゃんかな。昔から仲がいいけどプライベートではやったことないよ。

――「この子はすごいなあ」って、体が覚えている女優さんはいますか?

沢木:撮影現場で会っていたのに顔を忘れちゃうってことあるじゃないですか。でも、そういう子の中にはエッチをしているときに、「あれ、この子は前にやったことがあるな」っていうことはありましたね。

――撮影で一度やって、顔は忘れたけど、また撮影でカラミをすると「これは?」って体が覚えているんですね。

沢木:そういう経験はあります。

――なんか格闘家っぽいです。男優としてやり残したことなどはありますか?

沢木:(長い熟慮のあと)特にないですね。だいたいやることはやったから。でも、もう少しドラマモノはやりたかったです。歳を取ったせいかな。

――いまもこうして撮影現場に来ていますが、どういう役割をしているんですか?

沢木:ちょっとしたセリフを言ったり、バイブを突っ込んだり、それぐらいですかね。

――今後もずっとAVには関わっていくと思いますが、具体的にやってみたいことはありますか?

沢木:う~ん、ちょっと考えたことがないです…。頭の中では先がないって感じているから、AVの世界でこういうことをやっていきたいとか、そういうのはちょっと横に置いている感じかな。その代わりに息子のことが気になるね。なんとか銭を残したいってことばっかり考えています。

――いま、銭を残したいという話が出ましたが、『OMECO』時計とコラボもされていますね。

沢木:『OMECO』はTwitterを見て勝手にすごく気に入っちゃって、それを知った『OMECO』時計の社長が時計を持ってきてくれて、そこから付き合うようになったんですよ。

 チョコボール向井が『OMECO』時計のアンバサダーをやっているっていうこともあって、僕もアドバイザーみたいな感じで関わるようになって、僕もオリジナル時計を出したんです。33年間、男優をやってきた証じゃないけど、裏ブタに僕に関係ある数字や誕生日や家紋が刻印されているんです。これを33本限定で売ってみようって。息子に形見としても渡せるなと思っています。

――できることは何でもやってやろうという感じでしょうか。

沢木:そうですね。できることはね。死んだらマンションも残るし保険金も少しは入ってくるけど、いろいろ計算するとまだ全然足りない(笑)。だからAV以外の活動もしないとね。

――沢木さんから死を意識した言葉が出て、なんと言っていいのか戸惑いました。

沢木:正直、息子が高校に入る前に死ぬかもしれないという覚悟はあるんです。急にひどくなるとかね、なにがあるか分からないから・だから後悔がないようにやれることはいまやっておかないと。それが長引くぶんにはそれに越したことはないけど、うん…。

――医学の発達は目覚ましいものがあるので、長く生きられることを信じています。

沢木:でも変な期待はしていないです。延命治療は全くする気がないし、自分がやれるところまでやれればいいな。本当に分からないから、急に具合が悪くなったりするから。いまは足がちょっと不自由なだけで本当に元気だけど、急に血液検査でひっかかったりするから怖いですよ。覚悟はしているんです。

――覚悟しているとのことですが、本当に長くいられることを切に願います。今日はありがとうございました。

 

 インタビュー終了後に撮影させてもらったときの沢木氏はさすがだった。少し足を引きずりながらも、視線は鋭く立ち居振る舞いも堂々としており、全身から生命力をみなぎらせていたのだ。病に侵されても、稀代のAV男優は「カリスマ」と呼ぶにふさわしい姿形を誇っていた――。

(写真・取材=神楽坂文人/公式Twitterはコチラ

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