改称、法改正、伝染病に翻弄された時代 ~ニッポンの風俗史#11~

過ぎたるは及ばざるが如し 風俗業界が受けたしっぺ返し


 トルコ風呂は新しい名前に変わっても、体制に大きな変化はなかった。しかし、ノーパン喫茶にファッションヘルス、のぞき部屋など、新しい風俗店が次々に誕生しては、マスメディアでもてはやされる様子を、当局が見過ごすはずはなかった。

 昭和60年(1985)2月、世界の未来が詰まった「つくば万博」開催まで1カ月という時、伝家の宝刀が振り下ろされた。大幅な手直しを加えた改正風俗営業適正化法(新風営法)が施行されたのだ。この改正新法は風俗業界に大きな衝撃を与えた。

 新たに規制されたのは、個室マッサージ店(ファッションヘルス)も公安委員会への届け出が必須になることをはじめ、複合店の禁止(喫茶店とヘルスなど)、午前0時以降の営業禁止、ラブホの回転ベッド、鏡ばり、風呂場の透明ガラス禁止など。

 そして、病院、官公庁、学校などの施設から周囲200メートル以内は、新たな風俗店の出店禁止という項目は、事実上の”新たな風俗店の出店禁止措置”であった。都内で新法の条件をクリアする繁華街の土地は見つからない。地方都市でも同様だった。

 それでは現在、店舗型ファッションヘルスとして営業している店は、違法店や怪しい店かというとそうではない。この当時、すでにヘルスとして営業していて営業権を得ていた店、つまり、35年以上続く老舗ということになる。

 そんな店舗型ファッションヘルスも、年々数を減らし、都内に残っているのは68軒となっている。

 同じ頃、テレビ業界は深夜テレビが人気になっていた。昭和60年、『オールナイトフジ』が始まると、アダルトビデオ紹介コーナーや、風俗店訪問が人気コーナーとなった。そこで番組に登場したのが高田馬場のファッションヘルス『サテンドール』で働く風俗嬢・早川愛美だった。

 現在でも少ないが、当時、顔出しでテレビに出演する風俗嬢は皆無だった。しかもスレンダーでかわいくて、彼女の口からでるホンネは男性視聴者を魅了。一躍、イヴに続く風俗アイドルとなったが、残念なことに新風営法施行にからみ、当局からの自粛要請で人気の風俗店コーナーは改変となってしまったのだった。早川愛美は後にAV女優としてデビューしている。

 風俗店への締め付けが厳しくなると、新風営法の狭間を狙って誕生したのが、”プロの女のコ”と遊べる風俗店ではなく、”素人の女のコ”と出会えるテレホンクラブだった。


「そんな店にわざわざ電話してくる奇特な女なんているわけねーだろ」


 筆者はテレクラ急増のニュースを茶の間で見ながらそう思った。しかし、現実は真逆でテレクラは大人気となり、そして翌年4月、朝日新聞にある記事が掲載された。

 それは、テレクラで出会った男性客とデートしていたとして、家出中の女子高生が補導されたという記事だった。女子高生がテレクラを利用するなど予想外のことだったようだ。

 時は折しも、『夕やけニャンニャン』や『オールナイトフジ』が大人気で、女子高生、女子大生ブーム真っ盛り。


「テレクラに行けば女子高生と出会える」


 ニュースを逆読みした客でテレクラはさらに人気となった。

 開業当初からのテレクラマニアA氏(52)が当時を振り返る。


「元祖テレクラの歌舞伎町『キーホール』の頃から通ってました。

 当時は早取り制(かかって来た電話を早いもの順で客が直接取る仕組み)で、スタッフが女の子の年齢確認なんかしないので、学生から人妻までと幅広かったです。

 女の子の目的は、出会い希望や、ヒマつぶしとか、テレホンセックス目的の女性も多かったですね。セックス目的の女性もいて会ったことはあるけど、お金は払ったことも要求されたこともなかったです。

 それがいつからか、金銭目当ての女性が増え始め、当時は『円有り』『円無し』って言ってました」


 最初は単に興味やイタズラで電話をかけ、それを繰り返すうちにやがて”好奇心”から”出会い”へと繋がっていったようだ。

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