美しい花には棘がある――。誰もが備える多面性を表現したこの言葉。特に男を惑わす美女には危険な一面がある、という男の自戒的な意味を表しているわけだが…。勝手に舞い上がって棘が刺さってしまうのは男のせいとも言える。美女は美女で悩むことも多いのだ。AV女優・美咲かんなも悩み多き美女のようで…。美しくもどこか陰のある彼女が、素直な気持ちをふしだらに綴る。
美咲かんなエッセイ:ふしだらな気持ち「かぼちゃタルトのセレナーデ」
前回のエッセイ(※)の最後で、「今年の秋はお気に入りのモンブランを見つけるのが夢」と締めくくってから半月以上が経つ。結局お気に入りのモンブラン(ここでは栗のものを指す)を見つけるどころか、モンブラン自体に辿り着いていない。
古き良き定番スイーツから斬新な新感覚スイーツまで選択肢の多すぎるこの時代である。惹かれるがまま他のスイーツを楽しみ、モンブランのことなどすっかり忘れてしまっていた。好きなつもりでいたのだが、私の中で栗はそこまで優先順位が高くないらしい。
どちらかというと期間限定で出されがちなかぼちゃのスイーツの方が気になり、既に近所のコンビニをハシゴして買いまわった。かぼちゃのスイーツを通年で置いているところは多くなく、ドトールやイタリアントマト、カプリチョーザなどは数少ないかぼちゃスイーツ好きのメッカではないだろうか。
甘いものが好きな私だが、好きゆえにこだわりが強く、好き嫌いが激しい。食通というのとはまた違う。
特に気にするのは味と食感、原材料で、成分やカロリーは二の次だ。
チョコレートひとつとっても10段階評価に分けられそうなくらい好みが細かいので、他人に好みを伝えるのはとても難しい。自分の感覚だけで伝えるとすれ違う可能性が高いので、最近は手っ取り早くメーカーや商品の名前で伝えるようにしている。
最後の晩餐
「明日世界が終わるとしたら最後に何を食べたいか」という定番の質問がある。そう聞かれたとき君たちは何と答えるのだろう。今までの人生の中で一番美味しかったものや思い出に残る食べ物を最後の晩餐に選ぶのだろうか。
私の場合、強いて選ぶなら鰻か中トロだ。メインに鰻重、デザートに生クリームを乗せた固めのプリンを最後の晩餐にいただきたい。中トロと白飯、デザートにかぼちゃプリンも捨てがたい。何よりも食べることが幸せなので、確実に明日世界が終わるとわかっているなら何か一つを選ぶのではなく、片っ端から好物を用意して人生が終わるその瞬間まで美味しいものを味わい尽くすなんてのもいいだろう。
おそらく私はどちらかというとよく食べる方だ。大食いタレントのように明らかに普通ではない量を食べられるというわけではないのだが、一般的な女性が食べる量よりは多く食べるようで、他人と食事をすると驚かれることが多い。
できれば、「お!よく食べる子は好きだよ。いいね。好きなだけお食べ」と、温かく受け入れ見守ってほしいのだが、八割方引かれてしまうのが切ない。食べすぎを心配されることもあるし、周りが少食で自分だけ食べ続けるわけにもいかず不完全燃焼ということもある。
元々人付き合いが苦手ではあるが、日々の生活の中で一番大事な食事タイムに水を差されることもそれを気にしながら食事をすることにも疲れてしまい、最近は家族としか食事をしなくなってしまった。
月並みな意見だが、最後の晩餐は「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」が重要だと思う。
食べたいものはいっぱいあるのだ。
明日世界が終わるから健康や食費なんて気にせず食べようとしたところで、胃のキャパシティには限界がある。好きなものを食べ尽くすことは到底できない。今まで高級なものや老舗の名物など興味があるものは色々食べてみたけれど、気心の知れた大好きな人たちと囲む食事に敵うものはなかった。
家族旅行で泊まったホテルの朝食に特別好きなものがなくても妙に美味しく感じたわけは何なのだろう。家族で行ったファミリーレストランのハンバーグ、夜通しドライブをして朝方食べたサービスエリアのおにぎりが忘れられないのは、きっと味のせいだけではないはずだ。
思い出の味
20年以上前、幼稚園の帰りに母親とたまに寄るイタリアントマトで、かぼちゃのプリンタルトを食べさせてもらうことがあった。特によく食べていたのがかぼちゃのタルトだったが、母親の好みだったのか私のリクエストだったのかはわからない。この思い出のおかげか、かぼちゃタルトは好物の一つになってしまった。
同じようにドトールのミルクレープもたまにしか食べさせてもらえない貴重な思い出の味だ。ちなみにドトールにもかぼちゃタルトがあると知ったのは大人になってからで、こちらはそこまで馴染みがない。今はもう自由に出かけて食べたいものを自分で選べるようになり、特別感はなくなってしまったが、あのときめく気持ちは今でも思い出せる。
思えばしばらくイタリアントマトに足を運んでいない。あそこのケーキはまた大ぶりで食いしん坊心をくすぐるのだ。
今年に入って生活様式が変わり、コーヒーショップで暇を潰す機会というのがめっきり減ってしまったが、たまには思い出のタルトを食べにわざわざに出かけるなんてのもいいかもしれない。「最後の晩餐」はもう少し先でありますように。
美咲かんな
【美咲かんな】
生年月日:1994年7月3日
スリーサイズ:T158・B85・W58・H88(cm)
公式Twitterはコチラ
桃の季節も終わり、街で見かける広告には芋や栗、秋鮭などが目立つようになってきた。食いしん坊は季節の移り変わりも旬の食材で把握している。一部の食材以外は年中スーパーなどで手に入る時代だが、旬の食べ物は安く手に入る上に美味しさも段違いだ。測る術がないため調べてはいないが、なんと栄養価も違うらしい。仕事や人に合わせるとき以外は、そのとき食べたいと思ったものを我慢せず食べるのが私の生き方であり、生き甲斐だ。
世の中は相変わらず某感染症が猛威を振るっており、日々不安と闘いながら生活している。自分の健康面に関してはもちろんだが、感染症というのは「自分さえよければ」が通用しない。人と関わることは元々少なく、帰属意識というのも強い方ではないが、こんなことで社会との繋がりを感じてしまうとは実に皮肉だ。
気温が30度を超える日も多くなった東京は、いよいよ夏本番という雰囲気である。外出自粛もまだ心掛けてはいるが、仕事で外に出る機会は増えた。プライベートでは家族で出かけることがほとんどで車移動も多いが、時間の管理と駐車場に困らないという理由から仕事や用事で動く場合は公共交通機関を主に利用する。以前は環境問題の観点からか「公共交通機関を使いましょう」という呼びかけをよく耳にした気がするが、最近は感染症対策もあって、真逆の風潮である。