京都から始まったニュー風俗の時代 ~ニッポンの風俗史#10~

ノーパンより気持ちいい店へ


 しかし、ノーパン喫茶ブームは広がるのも早かったが、終息するのも意外に早かった。昭和57年(1982)、警視庁がノーパン喫茶を初めて公然わいせつ罪で摘発したのだ。すると、大人気だったノーパン喫茶ブームも一気に沈静化へと向かった。

 ひと段落したノーパン喫茶ブームだったが、すでにひっそりと新しい展開を迎えていた。ノーパン喫茶で興奮した客を個室で発射させようと、ノーパン喫茶と個室マッサージを併せ持つ複合店が登場したのだ。元祖ファッションマッサージ『歌舞伎町USA』がそれだ。そこに在籍していたのが、伝説の元祖フードル・イヴだった。

 

元祖フードル・イヴはその後AV女優に

 

「イヴちゃんの登場は非常にショッキングでしたよ。それまでの風俗といったら、トルコ風呂やピンサロのおばちゃんが多かったけど(笑)、そこにいきなり若くて細くてすごいかわいいコが天使の如く舞い降りたわけですよ。その名前が『イヴ』というのも、”天地創造”を思い起こさせる素敵なネーミングだよね」


 元祖風俗誌の元編集長Y氏は、当時をそう懐かしむ。

 83年、彗星の如くフーゾク界に降臨したイヴは、風俗店だけでなく、テレビ番組でも人気者になった。テレビ朝日『トゥナイト』に出演した際、風俗に入った理由を彼女はこう語っている。


「友だちから時給3000円のアルバイトがあるのでやらないかって誘われました。ただ、衣装が超ミニスカで胸を出すくらい露出度が高いって言われたけど、それほど抵抗なかった。友だちには『夕ぐれ族』(世間を騒がせた愛人クラブ。後述)の仕事をしているコもいて、それよりはマシだと思った。私も彼氏がいたけど、お客さんとセックスするわけではないし、守るべきものは守っているから」


 イヴの登場は、ノーパン喫茶の登場に続き、それまでの「風俗嬢=借金を背負った不幸な女」という固定観念を覆し、「気楽に稼げる職業」という新たな概念を生んだ。男性たちを快感に導くセックスシンボルの役割だけでなく、若い女性たちに新しい価値観を与える役割も果たしたのだった。

 そして、『歌舞伎町USA』の成功を見た高田馬場の『ル・モンド』など、同業他店が追随し、84年には歌舞伎町にマジックミラーで選べる『アメリカンクリスタル』がオープンすると、ノーパン喫茶の多くがファッションヘルスに転業。ファッションマッサージ(ファッションヘルス)時代の幕開けとなった。客は見るだけのノーパン喫茶より、ヌイてもらえる風俗店を選んだのだった。

 当時、世間ではまだ馴染みのないファッションマッサージの「ファッション」とはどういう意味か? 筆者の記憶では、フジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』に出演したコピーライターの糸井重里がその問いに、「…みたいなもの」と解説していた。「マッサージみたいなもの…」言い得て妙ではある。

 また同じ頃、「のぞき部屋」という新手の風俗が開業。赤坂には最初のマントル(マンショントルコ:マンションでトルコ風呂のように本番ができる裏風俗)『女子大生の館』が開業した。

 特に世間の話題をさらったのは、会員制愛人バンク『夕ぐれ族』だった。話題の理由は、経営者が22歳の女性であり、その女社長自らが広告塔となって、『笑っていいとも!』や『トゥナイト』などのテレビ番組に出演していたからだった。

 しかし翌年、『夕ぐれ族』が売春防止法で摘発されると、組織の実態も明らかとなった。女性経営者は実は単なる客寄せパンダで、実質的な経営者は二人の男性だった。

 そしてその翌年、すでに日本全国に広まっていたトルコ風呂にとって、その存在を揺るがす大きな問題が起きつつあったが、まだ多くの関係者すら知らなかった…。

 続く。

〈文/松本雷太〉


<参考文献>

・「戦後性風俗大系 わが女神たち」小学館 広岡敬一著
・「フーゾク進化論」平凡社新書 岩永文夫著
・「フーゾクの日本史」講談社 岩永文夫著
・「日本風俗業大全」データハウス 現代風俗研究会著

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