カモフラージュは旅館や民家
昭和、平成の裏風俗を巡る当コラムも、残りネタがかなり少なくなってきた。それだけ、いにしえの風俗街を紹介したということでもある。今回は、四国のちょんの間を紹介したい。
四国一の風俗街といえば、このコーナーでも度々紹介したこともある、松山の道後だろう。そこは風俗街のある温泉街なのだが、その逆もまた真なり。今回紹介する高松は、その道後に次いで風俗の多い街である。
高松で、遊郭巡りの趣向のある人が興味を持つのは、城東町や片原町に違いない。城東町は、遊女たちを囲っておくにはうってつけの、海に突き出た半島というか岬のような地形の街だ。今では倉庫や工場がある他に、ソープ街としての役割も果たしている。
また、片原町の旧赤線街には、自転車がすれ違えるかどうかという狭い路地に、昭和時代からそのまま時が止まったような、朽ち果てる寸前の木造の建物がかろうじて残り、スナックや居酒屋風の看板が並んでいる。今や、飲食店としても営業しているとは思えない風貌だが、非常に興味が湧く路地ではある。
しかし、今回紹介するのは、2つの街ともまったく違う街にあったちょんの間旅館だ。
高松城のある玉藻公園のすぐ西側、平成中期に、そこだけ一足先に21世紀が来てしまったかのような近未来的なJR高松駅がある。そのほぼ目の前の狭い路地に、ちょんの間旅館はあった。
駅前なので旅館やビジネスホテルがあってもなんら不思議では無い。鉄骨モルタル造の二階建ての小さな旅館に入り、声をかけるとあらわれたのは恰幅のいいご主人だった。
「遊べますか?」
風俗店の看板も出ていない店でいきなりこんなことを聞くのは、非常に勇気がいることだ。この時も勇気を振り絞って言ったのだが、ご主人はこう言った。