タクシーを降り、歩きながらラーメン屋の2階を観察してみるが、30分待っても灯りはつかない。諦めて川っぷちの路地をトボトボと歩き出した時、あるおばちゃんに出会った。
でっぷり太ったおばちゃんは、「お兄さん、遊び?」と声をかけてきた。ポン引きだ。遊ぶ遊ばないに関わらず、ポン引きなら鍋屋のことを知っているかもしれない。聞いてみると、やっぱりラーメン屋の2階を見上げて、「あら、今日はお休みね」と言った。やはり鍋屋はそこにあったのだ。
その夜は、結局ポン引きおばちゃんに案内してもらったマンションの一発屋で遊んだ。後日、もう一度来てみたが、よほど筆者の引きが悪いのか、その夜も2階の部屋の電気は消えたままだった。その代わり、ポン引きおばちゃんともまた出くわし、その夜も熟女をあてがってもらったのだった…。
それ以降、鍋屋のことはすっかり忘れ、次に熱海を再訪したのは約10年後。新雑誌の企画で、熱海の秘宝館を取材した帰り、タクシーの運ちゃんにそれとなく聞いてみた。すると…。
「『鍋屋』ですか? ちょっとわかりませんね」
やはりそうか。あの頃が鍋屋を知っている人がいる最後の時代だったようだ。それならばと、今度はおばちゃんの話に。
「昔、川の近くにいたポン引きのおばちゃんのところで2回遊んだことがあるんだけど、あのおばちゃん、元気かな」
「あの、太ったおばちゃんですか? あのおばちゃんですね…」
その運転手が話してくれたのは、ポン引きおばちゃんのその後の話だった。おばちゃんは体を悪くして入院したのだが、ほどなくして回復して退院。しかし、ひとり息子に邪険にされて行くあてもなくなり、その後に亡くなってしまったという…。
「あの息子はひどいバカ息子でしたよ」
運ちゃんは強い口調でそう言った。どうやら、運ちゃんたちとも仲のいいおばちゃんだったようだ。