【ニッポンの裏風俗】都内(?)で唯一ちょんの間があった街

 そもそも「たんぼ」の発祥は、戦中にできたでんぷん工場が潰れた跡地に流入してきた在日韓国人や朝鮮人だと言われている。かつては一面の田んぼで、湿気の多かった土地に工場ができ、その跡地に連れ込み旅館や居酒屋が造られて青線となり、それがやがてラブホテルやちょんの間につながっていった。

 たんぼができた当初は日本人女性ばかりで、キャンプ座間の兵士たちの間では「スケベハウス」などと呼ばれて賑わっていた(引用『青線』著:八木澤高明/スコラマガジン)という記録がある。

 やがて立ち入り禁止になると、その後、中国人や台湾人、タイ人などのアジア系の女性に代わって昭和期を過ごし、平成に入り金髪の白人が現れたというのは、黄金町の歴史とそう違ってはいない。ひょっとしたら、送り込んでいた業者も同じかも知れない。

 筆者が初めて訪れたのは、派手に営業していた2001年のこと。昔はビールなど飲んだ後に遊べたようだが、当時はすでに「ビール、アリマセン」という店ばかりだった。

 

 最盛期は2002年~03年ごろ。それまでは、マンション横の細い通路の奥にあった木造の長屋がメインだったが、ラブホ側に新しい長屋ができ、さらにその隣にプレハブと呼ぶには立派すぎる2階建ての建物が完成。ラブホとの間の路地は、ピンクの川のようになり、週末には、玄関口に立つ女のコに行き交う客、そして近くの十字路に立つ立ちんぼと、まるで東南アジアの置屋街のような様相となっていた。

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