【平成風俗史】被災と復興、デフレの先に見える風俗の未来とは

 これは、平成21年(2009年)頃、沖縄から入ってきた「洗体マッサージ」から始まった。洗体マッサージとは、はちみつや水飴入りの専用石鹸で作った弾力のある泡を使って、女のコが男性客の体を洗ってくれる店。客は専用の使い捨て紙パンツを履き、女のコは水着やショートパンツ、パレオなどをまとっている。

 性的行為のない非風俗店のため店舗営業が可能で、一時は歓楽街に多く見られた。しかし、風俗に比べ割高感と物足りなさが優り、衰退していった。これと入れ替わるように増えたのが、ギリギリエステだった。

 こちらはマンションの個室を利用し、いわゆる医療的なマッサージではなく、あくまでもリラクゼーションを求めたもので、女性の手指が男性客の股間ギリギリを通過する際、かすっていったりする不可抗力的な興奮が味わえる店として人気となっている。

 中には一線を超える店も現れ、口コミなどで過激なサービスが評判になると途端に閉めてしまう場合もあり、客にとっていい店ほど長続きはしないようだ(汗)。

 そして、現在の風俗業界が抱えている直近の問題が、目前に控えている「東京オリンピック」である。国際イベントの際、これまで風俗店が何かしらの犠牲を払ってきた経緯がある。

 大阪万博の際はピンサロが沈静化し、花博では大阪府内からソープランドが消えた。愛知万博の際も、名古屋のビデオパブ等が営業を控えるなどの動きがあった。

 ちなみに福岡県は、2006年にオリンピック誘致に乗り出した際、県内各所にあった店舗型ヘルスを閉店させ、風俗店は博多の中洲1箇所に集めた。結果的にオリンピック誘致は東京に敗れたが、風俗店の復活は許可しなかった。

 同時に、「ファッションヘルス」という名称を「トクヨク」に改めさせ、あたかも県内から「ヘルス」を排除したかのような愚策を打ち出したのだった。

 東京オリンピック開催で風俗がどこまで規制されるのかは、未だはっきりとはわからない。しかし、過去の歴史から考えるに、目立つ店舗型の風俗店は厳しい状況になるのではないだろうか。

 そして、その5年後には大阪万博が待っている。周辺地域でチャイナタウン構想が持ち上がっている飛田新地も、決して磐石とは言い難い。

 また、外国人客の受け入れについては、過去にアメリカ国務省に風俗による人身売買を指摘されていた事実があるニッポンは、インバウンドが拡大した時点で、世界中の女性擁護団体から非難を受けることは免れないと筆者は読む。

 ガラパゴス文化で育ったガラパゴス風俗は、新たな時代の波に乗ろうとすると、間違った方向に向かう気がしてならないのだが…。

 では、「令和」の風俗はどこを目指せばいいのか。選択すべき時期は、はそう遠くない未来にやってきそうだ。

(文=松本雷太)

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