【ニッポンの裏風俗】立ちんぼの隆盛と滅亡、そして復活の経路を辿ってみた

 平成というよりは、21世紀突入以降、さまざまな風俗や裏風俗が消滅してきた。本コラムでも紹介してきたが、無届け店舗型ヘルスやちょんの間などはその代表だ。

 しかし、一時隆盛を極め、摘発で全国的に排除されたものの、最近になってまた徐々に増えてきている裏風俗がある。それが、“立ちんぼ”だ。

 その立ちんぼの隆盛と滅亡、そして復活の経路を辿ってみた。

 過去、首都圏の立ちんぼスポットとして有名だったのは、新大久保や池袋を筆頭に、錦糸町、鶯谷、横浜・末吉町、千葉・松戸だった。

 新大久保や池袋は風俗も多い街だけに理解できると思うが、松戸に大勢の立ちんぼがいたというのは初耳という読者もいるだろう。そういう時代もあったのだ。

 新大久保に立ちんぼが現れ始めたのは、昭和60年(1985年)頃だと言われている。当時、歌舞伎町で働く外国人が増え、彼らのベッドタウンとなっていたのが、すぐ隣の新大久保駅近くだった。

 南米系にフィリピン、韓国、台湾、中国と、当時から女のコたちの国際色は豊かで、通称「パッコン通り」などとも呼ばれていた。


 歌舞伎町で働く外国人就労者の中には不法滞在者もかなりの数いて、表の場所では働くことができない彼女たちが、身体ひとつで商売を始めるようになったのではないかと言われている。

 また同時期、風営法が改正されて、深夜の風俗営業が厳しくなったことも原因のひとつと思われるが、もっとも大きな要因は、百人町にお手頃なラブホが多かったということだろう。

 前述した他地域の繁華街にも、同じ条件が当てはまったに違いない。

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