【ニッポンの裏風俗】アンチ米兵として作られた吉原特飲街

 前回の真栄原に続き、今回は同じ沖縄にあったちょんの間街・吉原の話です。


前回の記事は↓↓↓

 3月が過ぎると、ゴールデンウイークまではもうすぐ。花粉のシーズンもその辺りまでだろう。今年のゴールデンウイークは10連休ということで、海外リゾートに行く人も少なくないのではないだろうか。


 嘉手納基地に近いコザ十字路から、200メートルほどのところにある「吉原」という名前の信号。そこから小高い丘に向かって細い路地を入ると、そのあたりが沖縄第二のちょんの間街、「吉原」の街である。

 

 真栄原社交街が狭い一角にちょんの間がびっしり並んでいたのに対して、吉原は丘の中腹の広い範囲にわたって点在していた。そしてこの街も、真栄原同様、嘉手納基地の米兵のための娯楽施設として作られたのかと思っていたら、どうやら違うようだ。

 真栄原社交街が普天間基地の米兵の遊び場として誕生した街というのは前回書いた通りだが、『青線 売春の記憶を刻む旅』(八木澤高明著/スコラマガジン社)によると、吉原の街は、別の場所で米兵相手の特飲店(特殊飲食店=売春婦を置く店)をやっていた店主たちが、米兵のあまりの暴力沙汰の多さに嫌気がさし、現在の地(美里町)に移転、地元民のための飲み屋街を形成。その後、特飲街となり、「吉原」という呼び名も、東京の花街である吉原にあやかって後から付けられた名前だった。

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