京町がほかのちょんの間と違うのは、できたのが1970年代頃ということだ。
ちょんの間が戦後の赤線青線時代からの延長であることを考えれば、時代的にかなり新しいことになる。
その理由を筆者なりに考えてみると、近隣にあるソープ街に対する青線的なノリで、元からそこにあった客の入らないスナックがちょんの間営業を始め、それがウケて周囲に広がったというところではないか。それならば、新しいちょんの間にしては古い建物にも納得がいく。
筆者が訪れたのは2003年以降数回だが、当時から火事が起きたり、売り上げの一部がみかじめ料として暴力団に流れているなど不審な事件や噂があった。
そのせいか、10年ほど前には1軒残らず摘発され、老朽化した建物もすべて解体。現在は広大な駐車場に姿を変えてしまった。
この街といい、道後のネオン坂といい、怪しかったけど人の温もりがあった街並みから、急に無機質なアスファルトに変わってしまうと、なおさら寂しさがこみ上げてくる。
タイムトンネルの入り口っぽかった駅前の雑居ビルも、今は瀟洒なマンションに建て替わり、時空の扉も塞がれてしまった。かろうじて、その奥の路地は、古き怪き小倉の残像のように残っているが…。
そのことをバーのマスターに話すと、
「街はなくなっても、どうせおばちゃんたちはこっそり隠れて客引いてるに決まってるよ。小倉はそういう街」
と言っていた。小倉に行く楽しみは、まだまだありそうだ。
(写真・文=松本雷太)