分厚いドアを開けてその空間に足を踏み入れた途端、鼻をつくタバコと香水が混ざった独特の匂い。ステージでは、原色のスポットライトを浴びるダンサーがカラダの柔らかさと美しさを競うようにうねらせる。
ストリップ劇場は、まさに昭和~平成を代表する庶民のエロ娯楽の象徴だった。
【平成の裏風俗】
昨年来、何かにつけて「平成最後の」という冠を耳にするんだけど、安っぽく聞こえてしまうのは、ジジイになった証拠っすかね(汗)。事実、あと4カ月ほどで平成の世は終わり、新しい元号になるので間違いではないんだけど、どうもね…。
前回から、改元に絡み“平成の風俗”を懐かしむ年寄りチックな企画が始まったわけですが、たぶん10月くらいまではネタがありそうな感じです。昭和~平成にはそれだけ裏風俗が多かったということですな。
隆盛期、北海道だけでも40軒以上あったストリップ劇場。平成30年現在、営業が確認されているのは、全国で20軒程度となっている。
日本におけるストリップ史は、終戦間もない昭和22年、新宿の帝都座で『ヴィーナスの誕生』という演目のヌードショーとして始まった。
しかし、GHQから“モデルが裸でダンスをすれば摘発する”旨の通達があったため、モデルは動くことができなかった。ただ、絵画のようにじっとしているだけだったので、「額縁ショー」と呼ばれるようになった。
その後、動けるストリップショーが始まり、やがて白黒ショーや生板ショー、花電車に緊縛、脱糞、レズビアン…と、さまざまな趣向を凝らした出し物が生まれては消えていった。
そして、昭和後期から平成の時代には、ストリップの楽しみ方はステージを観ることだけにとどまらなくなった。受付に数千円を支払うと、さっきまでステージで踊っていた踊り子と本○ができる「愛の小部屋」が用意されるようになったのだ。