【ニッポンの裏風俗】福山のパツ屋:つわものどもが夢のあと…福山に裏は残っているか?

全盛期の店舗型パツ屋はこんな感じだった

 
 今を遡ること18、19年前、風俗業界でフードルブームの頃、当時全盛だった「西川口流」の名前をもじって、「当店、○○流です!」なんて、ご当地流をアピールする本番店は少なくなかった。

 「パツ屋」という呼び名を生んだのも、同じ時代のある街の裏風俗。その街こそ、広島の福山だった。

 今は福山の風俗なんてあまり耳にしないが、当時は「東の西川口、西の福山」などと呼ばれ、歓楽街・昭和町や松浜町には多数の本サロがひしめき、「愛媛や大阪から車で遊びに来る常連も少なくなかった」(元・本サロの店長)と言わしめるほど。それほど、福山パツ屋の女のコのレベルは高いと評判だったのだ。

 

 
 しかし、西川口より随分先に福山に摘発が入ってしまい、パツ屋はもちろん壊滅。「後にはペンペン草も生えん」(同店長)ほど徹底的に叩き潰されてしまった。

 その数年後に取材に行ってみると、繁華街とは少し外れた暗い路地に、不自然なおっちゃんが突っ立っていて、目があうと、

 
「お兄さん、セックスセックス」

 
 と、笑っちゃうほどの直球で誘惑してくるのでした。ペンペン草は、いとも簡単に生えてしまったようです(笑)。

 

 
 その時遊んだのは、スナックの店内を改装して個室を造ったパツ屋でした。その後、さらに変化して、マンション型が主流になっているようです。

 
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