昭和9年(1934)5月上旬、東京・六本木の交差点を通行する黒紋付の女性を、警視庁六本木署の刑事が職務質問した。外見はいかにも貴婦人風であったが、刑事の目にはどこか怪しく映ったという。
そして、彼女の所持品を調べてみると、手提げバッグのなかから偽造の銀行預金通帳が見つかった。偽造通帳には、230円の記載があった。都市部のサラリーマンの平均給与が92円くらい(昭和8年・内閣統計局)であるから、230円といえばそこそこの大金である。
さらに取り調べを進めると、この女は高松市出身の女詐欺師(49)であることが判明した。
この女詐欺師、地元の高松高等女学校(現・県立高松高校)を卒業後、京都で専門学校に入学する。この時、京大法科に通う学生と恋愛関係となったため、自ら働いて学費や生活費を出すなどして支援。その甲斐あって、学生は無事に京大を卒業。2人は滋賀県大津市に移り住み、そこで一子をもうけた。
ところが、しばらくして男はこの妻子を置きざりにして失踪してしまう。
この手の妻や子を捨てて無責任にも逃走する例をはじめ、無責任かつ卑怯な男のケースは戦前の新聞によく見かける。しかも、それが東大や京大といった学生の場合が少なくない。東大や京大といえば、現在では比べ物にならない超エリートである。どんなに優秀なエリートであっても、無責任で卑怯な輩は多いのだということを教えてくれる。要は、頭の良さと人間性、人格の高潔さとはまったく関係がないのである。