その結果、お増さんは妊娠。しかも、相手の男はさっさと雲隠れしてしまった。
あわてた彼女は、病気と称して退学し、実家から学費として送金された現金を持って埼玉の熊谷に向かい、そこで男の子を出産した。
彼女が赤ちゃんをかかえて下宿先に戻ると、実家から「母親が病気」との電報が届いたため、帰らざるを得なくなった。
困ったお増さんは、下宿先の増田さんの奥さんに頼み込んで赤ちゃんをあずかってもらうと、そのまま千葉の実家へと戻っていった。
ところが、いつまでたってもお増さんは戻ってこない。何度か手紙を送ってみても、まったく返事がない。
困り果てた増田さんの奥さんは、赤ちゃんを連れて彼女の実家へと出かけていった。
ところが、当のお増さんは「そんな子供は知らない。赤ちゃんを産んだ覚えなんてない」と言い放った。しかも、彼女の父親までも「言いがかりだ」と激怒して、増田さんの奥さんを警察に訴えてしまったというから驚きである。
増田さんの奥さんは、警察で取り調べをうける羽目になった。これだけでも、たいへんな負担と苦痛であるとは予想できるが、その結果、赤ちゃんは確かにお増さんの生んだ子であることが判明した。
疑いの晴れた増田さんの奥さんは放免となり、お増さんのだらしない行動が明らかとなったというところで記事は終わっている。
それにしても、東京でまじめに勉強していると思っていた娘が、実は男遊びの毎日だったことがわかった時、両親とくに父親はどんな心境だったろうか。
この手の事件は、とくに珍しいことではない。10代20代でセックスを楽しんでいる若い諸君が多かったのは、江戸や明治の世でも変わりはない。ただ、この当時は現在と違って、まだピルのような避妊に効果のある医薬品もなく、避妊具の入手も容易ではなかったことと思われる。
(文=橋本玉泉)