──その事務所にいるときに「着エロ」の世界に誘われたの?
植松「いえ、最初の事務所はグラビア関係には弱くて、ぜんぜん仕事が決まらなかったんです。でも、自分としてはグラビアの世界に挑戦してみたかったので、まずは雑誌とかに出て売り込もうって考えてました」
──グラビアで知名度を上げていこうとしたんですね。
植松「それ以前に、アイドルの仕事だけで生活するのが大変でした(笑)。当時はライブがメインで、その売り上げがギャラでしたからね。バイトしながらじゃないと、とても生活できないレベルのお給料でした」
──本業以外にも仕事をしていた?
植松「もちろん! だって、地下アイドルのライブで稼げるのって微々たるものなんですよ。たとえば、物販で『チェキ』の撮影料をいただいても、それも事務所と折半ですからね。1枚500円~1000円の値段をつけていたんですけど、10人のファンに買ってもらえたとしても2500円~5000円。他のコのライブの時間がおしてしまうと、物販に使える時間が10分くらいしかなくて、そうすると2~3人しか買ってもらえるチャンスがない。ライブ会場までの交通費とかを考えると…」
──せつなくなりますね(笑)。
植松「当時は平日も土日も関係なく月に20本くらいライブをこなしてましたけど、よくて1日だいたい5000円くらいのギャラでした。いくらがんばっても月に10万円も稼げなかったので、内緒でキャバクラのバイトをやったりもしました」
──キャバクラのほうが稼いだワケだ。
植松「小さなお店だったんですけど、時給2500円とか3500円とか。指名があればもうちょっとお給料に反映されたかな。そういうことをやらないと生活できなかったんですよ」