言葉もロクに通じない、風習も違う国を旅をする…。その国で出会う異文化は刺激的で、エンターテイメントでもある。そして、男として気になるのが『風俗』だ。異国の地で風俗店に飛び込むことは、スリルがあるからこそ虜になってしまう。
世界を巡っていると、さまざまな面で日本とのつながりを感じることができる。心温まるものもあれば、時には悲しい歴史の一端に触れることも。異国の地でありながら現地の人々が日本語に堪能な場合など、その背景には日本統治時代があったりする。
日本語が堪能な人が多いといえば、フィリピン共和国の首都マニラだ。マニラの北西部には“東洋最大のスラム”とも言われるトンド地区があり、そこにはスモーキー・マウンテンの名で知られるゴミ処理場があった(現在は閉鎖)。そのゴミの山を漁って暮らす人々も多く、フィリピンの貧困の象徴と言われていた。
その地域から富をつかむためには、女性は日本に渡ることがひとつの手段でもあった。そういうことも影響しているのか、マニラの20代から30代前半で日本語が堪能な場合、私の実感では父親が日本人であるパターンが多かった。母親が日本に滞在していた際に日本人男性と結婚し、その間に生まれた世代だ。
“彼女たちと日本語”で思い出すことがある。それは、10年前に仕事でマニラを訪れた時のことだ。
ある日、取引先の現地業者から「夜のマニラを案内したい」との申し出があった。さらに「エッチなことをしたいでしょ?」と、エルミタという地区の『連れ出しバー』へ連れていかれることになった。この地区はマニラ屈指の危険地帯なのだが、その取引先の人間には裏の顔があるようで、「私のそばにいれば安全だ」と言われた。
事実、彼と一緒にいる、もしくは彼と関係があることを知られると、各所で手厚いもてなしを受けた。目的の連れ出しバーに入った際も、すぐにVIPルームへ通された。