大正14年6月16日、神奈川県警・伊勢佐木警察署で、20歳前後とおぼしきショートヘアの美女が取り調べを受けていた。実は彼女、東京をさんざん荒らしまわったギャング団「ケーシー団」の団長、栃木県出身の秋山てる(21)だった。
てるの父親は女学校の教師で、彼女はそれなりに格式ある家で育てられた。いわゆる良家のお嬢様であったわけである。
ところが、彼女が16歳で女学校に在籍していた時の夏、東京から避暑に来ていた男子大学生と恋愛関係になった。東京のハイカラ学生と箱入り娘の女学生との恋とは、まあよくある話である。
そして、夏休みが終わると同時に、男子学生は東京に帰ってしまった。学生としては、休暇中のほんの遊びのつもりだったのだろう。
それでも、彼をあきらめきれない彼女は、親に無断で上京、男子学生と再会した。しかし、彼女はすぐに男子学生に捨てられてしまう。ここまでも、とくに珍しくもない、実によくある話だ。
惚れた男に捨てられた彼女は、ではお嬢様らしく泣きながら郷里に帰ったかというと、そうではなかった。
ショックで荒れすさんだ彼女は、麻布にある待合に女中として住み込みで働きながら、上野や浅草に出かけては、その界隈をうろつく不良少年や不良少女たちに手なずけてギャング団を組織した。そして、「ケーシー団」と名乗って活動を始めたのである。