そこに加わったのが、弟分の弥五郎だった。弥五郎は浅井伝次郎の娘・テル(27)と男女関係にあったが、最近ではすっかり仲が冷えてしまっていた。一説には、弥五郎が熊太郎に報復をけしかけたのではとも言われている。
犯行後、熊太郎と弥五郎は逃走。民家に押し入っては食べ物などを脅し取って逃避行を続けた。
これに対して、警官96名に裁判官11名に加え、竹槍や鉄砲などで武装した地元住民などで147名の捜索隊を構成。山狩りを続けたものの、犯人2人の確保には至らなかった。
そして、犯行から2週間経った6月8日、2人は山中で遺体で発見された。状況から自殺と判断された。
新聞はこの事件を大きく取り上げ、続報も連載した。
明治期にも凶悪事件は少なくない。だが、わずか数時間の間に乳幼児を含む10人が惨殺される事件は極めてまれである。日本で起きた殺人事件の中でも、特異なケースのひとつであるといっても過言ではなかろう。
(文=橋本玉泉)