SMの女王様が明かす「有名人専属」破格のギャラとその実態


 筆者が印象的だったのは、香織さんが「ご本人のプライベートもあるし、今は関係が切れているので、詳しくは申し上げませんが…」と切り出したミュージシャンのKだ。1980年代に人気があったものの、1990年代初頭に解散したバンドに在籍していた彼は、現在は俳優としても活躍している。

 バンド時代はスリリングな恋愛を歌うことが多かったが、香織さんいわく「実生活でもスリリングなことをしたかったみたい(笑)」で、彼女が在籍していたSMクラブに訪れたのは約20年前のことだという。「その時はバンドはすでに解散していたけど、印税とかの貯えがあったみたいで、週に2、3回くらいの頻度で来店されていて…」と、その結果、香織さんの常連になったそうだ。

 ちなみに彼はマザコンで、香織さんを「ママ!」と呼び、オムツをつけてプレイに臨むことが多かったという。曲のイメージしなかった彼女にとって、赤ちゃん言葉で接してくるKに最初は戸惑ったそうだ。

 ある日のこと、プレイを終えた後にKが提案を持ちかけてくる。「私の専属の女王様になっていただけませんか」と。どうやら、Kはマザコンなうえに独占欲も強かったようだ。もちろん、月額でまとまった金額を支払うし、専用のプレイルームとしてマンションも用意するとのこと。これが、香織さんにとって初めての専属女王様としての契約になった。

 条件は、Kが希望したら昼夜問わずにいつでも調教すること、そのためにいつでも準備しておくことだった。実際に、朝の4時に起こされて調教しろと言われたこともあったのだという。その時は、「さすがにキツイと思った(苦笑)」そうだ。また、彼がオフの日は、18時間連続調教も珍しくなかったという。

 この関係はそれから1年ほど続いた。その環境は、香織さんにとって面白い経験であったことは間違いないようだが、自分が置かれている立場が窮屈に感じてくることになる。そして、「これでは、どちらが奴隷なのかわからなくなって…」と、Kに契約解除を申し入れた。

 そうすると、「お願いだから、ママ、やめないで!」と、マザコン丸出しで号泣しながら懇願してきたというK。この号泣には、さすがに香織さんも面食らい、「逆に醒めてしまって、興味がなくなっちゃったの」とのこと。最後は諭すように「この別れも調教のひとつよ」と、もっともらしい説明を並べて諦めさせたという。

 その後、香織さんはフリーランスとして、月に1、2回のペースでKを都内のホテルで調教するようになった。しかし、役者稼業だけではミュージシャン時代のような羽振りはできなくなったのか、フェードアウトするように調教依頼がなくなっていったという。

 以降、有名企業の役員がパトロンになったり、政治家に依頼を受けたりと、基本的にひとりの奴隷・M男と一定期間の契約をして調教するスタイルを確立。その期間は、1カ月から長くても半年間に設定した。これは、「Kさんとの1年の最後の方がマンネリになったから」という理由からだった。

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