大正15年(1926)5月21日のこと、大阪市のある民家の庭から複数の胎児の遺体が発見された。
民家は市内のある医院で薬剤師を務める男の自宅だった。そしてその医院では、「月やく下ろし」などと称する広告で、あたかも生理不順の治療を行っているように見せかけて女性受診者を集めていた。
しかし、実際に行っていたのは、正規の手続きをとらない、違法な堕胎手術であった。
やがて、不正な堕胎が行われているとの噂が警察に耳にも入り、大阪・難波署によって捜査が始められた。そして、先の薬剤師とこの医院の医師を取り調べた後、医院の裏庭を掘り返してみたところ、午前中だけで8体の胎児の遺体が発見された。
さらに、午後には医院と棟続きになっている旅館の裏庭を調べたところ、さらに2体の胎児の遺体が見つかった。わずか2日の間に、15体もの胎児の遺体が発見されたのである。