大正15年(1926)5月4日、姫路市の尋常小学校の教師(34)が3月頃までに数名の女生徒に暴行を働いたという容疑で姫路警察署に逮捕された。
この教師が行った暴行がどのようなものなのか、記事には詳しく書かれていない。だが、リードに「醜行」と記されているので、もしかしたらワイセツ目的の性的な暴力を行ったのかもしれない。ちなみに、尋常小学校は6歳からの入学で、当初は4年制だったが1906年に6年制に改正された。そのため、事件当時だと最高学年は12歳となる。
ともかく、教師は検挙され、警察での取り調べの後に裁判所の施設に収容された。
ところが、それからしばらくした6月初旬、教師を検挙した姫路署の警部補(30)が、教師の妻(30)と不適切な関係に及んでいたことが発覚した。
記事によれば、警部補は教師が起訴されたその翌日、教師宅を訪れて妻と「情的関係を結ばんと」したらしい。そして5月20日、ついに教師宅に泊まり込んだ。女性一人の家に泊まっていた、何もなかったわけはない。さらに同30日には、警部補は妻に暴行まで加えたという。
ここまでの経緯をみただけでは、まるで警部補のほうから犯人の妻に関係を迫り、挙げ句に暴力をふるったようにも感じられる。
しかし、実際には妻のほうから意図的に警部補と肉体関係をもち、それによって警部補を破滅させようとする計画的に行動だったことがわかった。