女性の性的な奔放や女性同士の恋愛については、当時のメディアが何度か取り上げている。明治35年に「読売新聞」に連載された『女学生の堕落問題について』という記事が話題となった。さらに明治末から大正初年にかけては「朝日新聞」が『女学生』『帝都の書生』などの連載で、東京の女子学生たちの実情を紹介し、そのなかで女子学生たちの間で学生同士や女性教師との恋愛について何度も指摘している。
それらの記事によると、女子学生たちの恋愛に熱心な様子の数々が挙げられている。たとえば、意中の相手を見つけると、「あらゆる手段を講じて」関係を作ろうとし、その様子を「欲求は狂的である」などとコメントしている。
だが、そもそも10代から20代の人間は、男女を問わずそもそも恋愛や性に最も関心が強いものである。いわばそうしたものに「狂的」であるのは当然であり、当たり前のことをさも一大事のように書き立てる大新聞のほうがおかしいといわざるを得ない。
こうした性に対する干渉は、昭和に入るとさらに強まっていく。そして、国や政府は、ことあるごとに個人の性についての管理を強化し、その自由を奪おうとこう動きを絶えず続けていくこととなる。その抑圧の流れは、今日なお変わっていない。
(文=橋本玉泉)