政府要人が異例の協議を行うほど性感染症が蔓延した明治時代


 その重鎮とは、陸軍大臣・寺内正毅(後に第18代内閣総理大臣)、内務大臣・平田平助、文部大臣・小松原英太郎の3名。この3大臣が協議して研究会を発足させ、その報告をもとに対策を立てていくのだという。

 ところが、これに関して新聞記事では、「売春婦の取り締まりはもちろん、紳士や学生などへの制裁を考える必要があるかもしれない」などと記しているのは、何ともお粗末ではないか。罰則などを設ければますます感染者が潜伏するのは明白だ。それに、法による取り締まりよりも、まず衛生教育が先決であろう。性感染症の蔓延も、その点をキチンと行わなかったからではなかろうか。

 この翌年の明治43年(1910)には、ドイツのP・エールリヒと日本の秦佐八郎という2人の研究者に手によって、梅毒を生理学的に根治させる効果がある医薬品、「サルバルサン606」が開発される。さらに昭和4年(1929)にはイギリスで細菌学者フレミングによってアオカビからペニシリンが発見され、抗生物質開発のきっかけとなる。以後、梅毒や淋病などの治療法が確立されていく。

 そして100年ほど経った現在、わが国でそうした旧来の性感染症が根絶したかというと、そうした事実はない。たしかに軟性下疳(なんせいげかん)や第四性病といった病気は国内では見かけなくなった。しかし、梅毒や淋病などは先進国のなかで日本だけがいまだに増加傾向にある。また、エイズやクラミジアといった新種の感染症の問題もまだまだ深刻である。

 この国の性感染症対策は、どこかが欠けているのではないかと感じざるを得ない。
(文=橋本玉泉)

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