劇中の舞台は山奥の集落といった感じ。そこで涼花チャンはむさ苦しい男どもに慰みものにされるといった内容である。
作品タイトルにもなっている涼花チャンの唇が蹂躙されていく様子は、まさに生唾もの。綺麗なものが汚いものに穢されていく過程が、見ている者の心情をかき乱してくれるのであった。
男たちの愛撫によってアエギ声をあげるものの、終始無言の涼花チャン。この演出もまた最高である。涼花チャンはそこにいるだけで美少女として成り立っている。だから余計なセリフなんて必要がないのだ。
そしてセリフが無いゆえに、涼花チャンの気持ちは受け手に丸投げされていることとなる。嫌がっているのか? 喜んでいるのか? そんな感情を読み取ろうと、嫌でも彼女の表情に注目してしまうことになるのであった。
それにしてもなんて透き通った瞳なんだろう。涼花チャンの顔のアップシーンが多いのだが、彼女の瞳は純粋な幼女そのものである。そのあまりの清純さと内容のギャップが、スナッフビデオを見ているかのような罪悪感をおぼえてしまうほどだった。
な、なんと涼花チャンはツルっツルのパイパンなのである!!
モザイク越しとはいえ、このパイパンを見ただけで発射してしまう人もいるのではなかろうか。シミひとつない綺麗な肌でいて、それにプラスしてのパイパンだ。ほ、本当にこれは合法な作品なの? とますますドキドキさせられる。
もうこの時点でお腹いっぱいであるが、さらにヌキ所が用意されていた。それは、顔射シーンだ。よくもまぁこれだけ貯め込んでいられたものだという位、大量のザーメンが彼女の顔面を汚していくのである。
そんな大量のザーメンで目や鼻の穴が汚されたまま、無言でお掃除フェラを続ける涼花チャン。
彼女が何を考え、何を感じているのか、余分な説明がないのでいくらでも好きなように解釈できるわけだ。なんとも想像力を刺激してくれる作品である。
この『くちびる 森川涼花』という作品をじっくりと鑑賞すれば、心のうちに潜んでいた新たな性癖が芽生えてしまうかもしれない。
ちなみに、筆者トコショーは当分中学校や高校の前を歩くのは止そうと思った。この作品のインパクトが強すぎて、女子中学生や女子高生を前にして自我を保っている自信が揺らいでしまったからである。
(文=所沢ショーイチ)