イヴ・早川愛美・光月夜也…風俗界のアイドルがAVで活躍していた時代 “風俗とAVの関係”の歴史を紐解く


【ピンクサロン】
 今でもピンサロファンの語り草になっている、花びら回転の超有名店、平塚『ジャンジャン』の“ナンバー1嬢”という輝かしい肩書が話題になったのが、1996年に『美神(ミューズ)の唇~ピンサロ界のスーパースターAV上陸~』(アテナ映像)でAVデビューした光月夜也(デビュー当時はピンサロでの源氏名“南”にちなんで星野南だった)だ。『ジャンジャン』は嬢が短い時間でどんどん入れ替わり、次々とお口でサービスしてくれる“花びら回転”というシステムで、3回転以上するのが普通。イカないと次の嬢が来ないという店もあったが、『ジャンジャン』の場合は、イッてもイカなくても時間がくると嬢が入れ替わり、何回イッてもOKというのが人気で、もちろん、働いている女性たちのルックスとテクニックもレベルが高かった。筆者も電車を乗り継いで東京から遠征したことがあったが、当時、ピンサロの聖地と呼ばれていた巣鴨と比べると料金が倍近く高く(開店~19時で1万円とファッションヘルス級だった)、開店時に並んでいると、先頭から20人の人にクジを引かせて、1人だけ無料になるという割引サービスを行っていたことを覚えている。嬢のサービスは噂以上で、スクリューみたいに絡みつく舌の動きがあまりに気持ちよくて悲鳴を上げそうになったものだ。

 光月夜也は1999年に『終止符 さようなら光月夜也』(サマンサ)で一旦引退するが、2001年にセルビデオ系メーカーで芸名を林絵理と改め復帰。だが結局は光月夜也に戻し、2003年に引退。2008年に再び復活すると、2010年の『夫の目の前で犯されて― 義弟の暴走』(アタッカーズ)で引退するまでハードなカラミで活躍した。

 
【ソープランド】
 風俗カメラマンや記者などに誘われて、バイト気分でAVデビューしたソープ嬢は多数いるのだが、元ソープ嬢として単体女優デビューしたケースは少ない。ファッションヘルスに比べてアイドル的存在がいなかったことと、お店でのプレイ内容が本格的でAVデビューしてもさほど新鮮味がなかったため、わざわざ元ソープ嬢と宣伝するより、風俗の肩書きなしでデビューすることが選ばれたようだ。

 1990年に『レイプ狂い~悶絶~』(アリスJAPAN)でデビューした美倉ケイも、岐阜・金津園のソープランド在籍中だったが、パッケージにソープ嬢であるという記載はない。東京・吉原のソープランドに移るとともに有森麗に改名して、1993年に『泡姫の恍惚』(BAZOOKA)で再デビューしたのだが、タイトルからも分かる通り、珍しくソープ嬢であることに触れている。若い頃の風吹ジュンをショートカットしたようなルックスで、当時では珍しい水着の日焼け跡がクッキリ残った健康的なボディが人気になり、大手メーカーから次々と新作をリリースした。やがて、吉原で現役AVソープ嬢として働くようになったのだが、お店の所属嬢の中で彼女だけが総額10万円と破格の金額だった。その後、金津園に戻ったらしいが、働いていた店が閉店する頃には姿を消し、その後の消息は不明だ。

 風俗とAVは共に性的な行為で男たちを楽しませるものだが、土俵が違う。お店でのプレイとはまったく違うカラミ撮影に戸惑うことも多かっただろう。風俗で磨いたテクニックを武器に、まるで異種格闘技戦に挑むかのようにAV業界に“とらばーゆ”(死語ですが、当時はそう呼ばれてました)した彼女たちのファイティングスピリッツに感謝したい。
(文=坂上五郎)

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