イヴ・早川愛美・光月夜也…風俗界のアイドルがAVで活躍していた時代 “風俗とAVの関係”の歴史を紐解く

※イメージ画像:Thinkstockより

 風俗も好きなAVファンなら、以前お世話になった嬢がAVデビューしてた、なんて経験があるかもしれない。プレイルームには「スカウト禁止」と違反行為には厳しい罰則を提示した貼り紙があるのに、はたしてどんな経緯でデビューに至ったのだろうか? 仕事明けの路上でスカウトだろうか? 自分から志願して? それとも…!? などと妄想と股間が膨らむばかりだが、実際はAV女優のモデル事務所が風俗店を経営するなど、AV女優と風俗嬢の営みが直結しているケースも少なくない。どうやら、最近の風俗とAVの関係は、密接度が強くなりすぎてファンタジー性が薄らいでしまったようだ。

 かつて、フードルと呼ばれた人気風俗嬢がAVデビューすると、各専門誌だけでなく、スポーツ紙や写真週刊誌でも話題になっていた時代があった。トルコ風呂がソープランドに改名され(1984年)、改正風俗営業法が施行(1985年)以降、風俗はダイナミックに変貌を遂げた。1990年代に風俗が全盛期を迎えると、各出版社から次々と創刊された風俗専門誌は20誌を超えることに。情報紙主催のフードルの女王を決めるコンテストが毎年盛大に開催され、テレビの深夜番組では山本晋也監督が「すごいですね~」と風俗店をレポートしていたものだった。

 今回はそんな1980年代後半から90年代に風俗からAVに転身した、懐かしい女優たちを風俗の業種ごとに振り返ってみよう。

 
【ノーパン喫茶】
 ノーパン喫茶出身のAV女優は、1984年にロマンポルノ『イヴちゃんの花びら』で主演デビューして、AVでも大活躍したイヴ(その後、神代弓子に改名)だ。元々はタレント志望でセミヌードモデルとして活動していたのだが、歌舞伎町の個室ノーパン喫茶『USA』でイヴという源氏名で働き始めると、風俗情報誌だけでなく一般誌でも特集され、店の前に行列ができるほどの人気だった。ノーパン喫茶というと、第1次ブームの下着を履いていない女性がミニスカートでのコーヒー(1000~3000円くらいした)を運んでくるイメージが強いかもしれないが、彼女が働いていた個室ノーパン喫茶は第2次ブームの形態で、女性が「別室に行きませんか」と誘ってくるシステム。移動するとシングルサイズのベッドがあって、女性は服は一切脱がず、5000円払うと手で抜いてくれた。これが、その後のファッションヘルスの草分けだと言われている。

 神代弓子がAV女優としての本格的な活動はビデオ制作会社社長と離婚した(1988年)以降で、1989年にリリースされた『白濁の花園』(KUKI)で熟女AV女優として復帰を果たす。その後、2000年まで妖艶なカラミを披露してくれたが、特に未亡人役の喪服姿が色っぽいと評判だった。

 
【ファッションヘルス】
 風俗界のアイドルが数多く誕生したのがファッションヘルスだが、その中でも最も話題になったのは、1985年に『ヒロイン・愛美』(宇宙企画)でAVデビューした早川愛美だ。『オールナイトフジ』(フジテレビ系)や『TV海賊チャンネル』(日本テレビ系)などの深夜番組で風俗界のアイドルとして大人気となり、同じタイトルの写真集とビデオを同時に発売するという、当時の宇宙企画の正統派美少女路線で売り出された。1986年には『六本木SCANDAL』(ポリドール)でレコードデビューし、ソロでレコードを出した最初のAV女優となり、有名大学の学園祭に引っ張りダコだった。大物アイドルや有名お笑いタレント相手のスキャンダルの噂も多く、羽賀研二との同棲も報道されたこともあったが、1990年に引退して、その後結婚したらしい。

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