当然ながら、それまで平穏だった銭湯は騒然となった。小かねさんは怒りにまかせて手当たり次第にモノを投げつける。桶や手ぬぐい、石けん箱などがあたりに散乱し、面白がって騒ぐ子どもたちがいるかと思えば、そのすぐ脇ではおばあさんが驚いて泣き出す。飛んできたおもちゃの桶が、どこかの奥方の頭にすっぽりはまってしまう光景も。そんな混乱に驚いて、濡れた体に着物を羽織って「大変だ!」とお騒ぎするものまでてくる始末。
やがて、騒動を聞きつけて三助さんなど男性従業員たちがやってきて、小かねさんから事情を聞いて説得。
「お怒りはごもっともですが、銭湯だけに、水に流してもらえませんか」
などとなだめたものの、なかなか彼女の怒りは静まらなかったらしい。
日本の民家に浴室が普及するのは、ごく最近のことである。昭和50年代頃までは浴室を持たない家屋が多く、銭湯は庶民生活に欠かせない施設だった。そのため、銭湯を舞台にした事件も多く発生している。とはいえ、上記のようなトラブルが大半であるが。
女性同士の争いでは、昭和6年には大阪のある銭湯で、41歳と27歳のそれぞれ主婦が、「お湯のしぶきがかかった」「いいえ、かかっていない」と言い争いになり、手桶を持って全裸で殴り合うという事件が起きた。ただちに通報を受けた警官が駆けつけ、激しく殴りあう2人を取り押さえたものの、双方とも額に全治3週間のケガを負ったというから穏やかではない。この2人の主婦、ともに近くで夫を手伝って商売をしており、平素から仕事のことでいがみあっていたらしい。
それにしても、銭湯とか公共の施設で、全裸で口論、格闘したというニュースは、決まって女性ばかりである。男性同士が公衆の面前で素っ裸でケンカしたという報道は、いまだ見かけたことがない。
(文=橋本玉泉)