「貸した女房を返せ」「返さない」と妻の貸し借りでトラブルに


 今日の我々の感覚であれば、警察に対してはまず捜索願を出して、それから誘拐や拉致、監禁などの可能性を考えるのが普通ではなかろうか。ところがこの健二郎、自分の妻に対してまるで財物かなにかのように「横領」などと言い出すのは、筆者はやや驚いてしまうのだが、賢明な読者諸氏はいかがであろうか。こうした、自分の妻を「モノ」か何かのように考えているところに、「これでは、奥さんも嫌になるのではないか」などと考えてしまったりする。

 新聞の記事はここで終わっているが、はたしてこの後、3人はどのようになったのだろうか。

 ちなみに、明治時代の新聞記事を眺めると、女性を品物のように扱った事例がゴロゴロ出てくる。まず、明治8年には居候をしていた家の奥さんと不倫関係になり、交渉の結果、その奥さんを金で買い受けたという話や、明治12年は自分の奥さんを質入れしてカネを借りたものの、返済が滞って奥さんが「質流れ」しそうになる騒ぎが起きている。明治17年には熊本で女性を寺院に永代供養のために献上するという事件が起きているし、また明治19年になると、大阪で牛と自分の女房を交換した男の話が、明治26年には他人の妻を勝手に海外に売ろうとした事件まで発生している。さらに、明治45年には、武道家が20年間にわたって女性を誘拐しては海外に売り飛ばして巨利を得ていた事件が発覚。その卑劣さには唖然とする。

 こういう事件の数々を見て、「昔の日本は酷かった」と感じる方も少なくないかもしれない。だが、それは誤解ではなかろうか。今日の日本では、さすがにあからさまな人身売買などは見かけなくなったようだ。しかし、派遣社員など非正規労働者が人権すらも無視されているといった状況が、依然として存在している。「昔は酷かった」では済まされない状況が、現在も続いているのではないだろうか。私見ながら。
(文=橋本玉泉)

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