【事件簿】「7歳の少女をレイプ」事件の新聞記事の生々しい描写(明治7年)

※イメージ画像 photo by crystal cardenas from flickr

 明治期の新聞には現在と同様に、殺人や傷害などの凶悪事件を報じる記事が多数掲載されている。ただし、その記事内容は現在のものとは大きく異なり、記者の主観や論評が多分に盛り込まれているものや、事件の詳細を具体的に描写されているなどと、どちらかというと現在の週刊誌記事のような仕上がりになっている。

 たとえば、明治7年10月5日の『郵便報知新聞』に掲載の7歳の少女がレイプされた事件に関する記事などは、男が少女を無理やり犯す様子が実に事細かに記されている。

 明治7年5月25日のこと、備中国(現・岡山県)のある村で農作業員として働いていた高杉末吉という男が種まきの仕事を終えて休憩していた。すると、畑の周辺を同じ村に住む7歳の少女が走り回って遊んでいるのが目に入った。

 ここからの記事の描写が何とも鮮烈である。少女の姿を見て欲情した末吉は「頻に勃起して自ら制する能はず」(原文ママ・以下同)、つまりどうにも我慢が出来なくなり、少女に近づくと麦が生い茂っている畦道に連れて行って押し倒すと「徐に股間を捜り試み」た。

 当然、少女は驚いて泣き出し、大声で助けを呼ぼうとしたため、末吉は少女の口を手でふさいで無理やり犯した。すると少女は、「あつと叫びて眼を白らまし俄に顔色相変し」たが、大変なのはその後だった。そんな幼い少女をレイプしたものだから、当然「陰口より出血淋凛と滴りて止まらず」という状況になってしまった。これには末吉もあわてて戸惑っていると、少女を探していた母親が2人を見つけて背後から声をかけた。すると、何と男の傍らで自分の娘が下半身血だらけとなって泣いているではないか。

 驚いた母親が事情を察して末吉を問い詰めたが、「知らない」「関係ない」と繰り返すばかり。その様子に母親は腹立たしさを感じたものの、今は娘の手当が優先と家につれて帰って応急処置した。

 そして、改めて少女の両親は末吉に謝罪と賠償を求めたものの、相変わらず末吉はふてぶてしい態度をとり続けた。そのため、関係者などとも相談し、さらに手をつくして末吉の悪事を世に問うたところ、世間でもこの悪行を糾弾する声が高まり、ついに末吉は逮捕されることとなったという。

 それにしても、まるで犯行現場を観ていたような記事を掲載するとは、そういうものが許された時代であったというところであろうか。

 ちなみに、明治期の『朝日新聞』その他の報道媒体を調べてみると、10代の少女が被害者となった強姦傷害事件は少なくない。この手の事件やずっと昔からあったということである。
(文=橋本玉泉)

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