【日本の奇習】「処女は嫁入りお断わり」だったかつての日本

※イメージ画像 photo by gwaar from flickr

 現代の日本人が自国の性文化について誤解している点はいくつもあるが、そのひとつが「処女」に対する考え方であろう。

 以前にも当サイトで書かせていただいたことがあるが、日本では太古から近代まで、処女というものを尊重する考えはまったくなかった。処女性に価値を認め、「純潔」などという価値観が登場するのは、ようやく明治時代になってからである。この点については、日本国内の研究者たちはもとより、『日本人の性生活』の著者であるフリードリヒ・S・クラウスなど、海外の日本研究者の多くも、日本における処女の扱いについてほぼ同じ意見を述べている。

 そもそも日本では古来より、セックスを生殖行為と同時に、嗜好または娯楽として重要視していた。そして、生殖という実務についても、娯楽という行為においても、男女ともにある程度の技術的な習熟があったほうが好都合であることは、セックスの経験がいくらかでもある者ならば瞬時に理解できることである。

 そのため、かつての日本の各地域では、男女ともに10代の頃からセックスに関する経験を実地で訓練するプログラムが整備されていた。「若者宿」や「夜這い」「サラワリ」などはそのひとつである。

 また、婚姻に際してもさまざまな慣習が伝えられており、そのなかには新郎ではない別の人間が新婦と初夜を共にするという風習が全国各地にあったという。こうした慣習について、「新たに嫁入りする女性はまず神に輿入れするのが原則」などと理屈がつけられていることが多いが、それはあくまで建前であって、要するに婚姻に先立って性的な確認と指導を実施したものであると考えるのが普通である。だから、重要なのはその際に新婦が今後の夫婦生活を問題なく行えるかどうかであり、処女であるかどうかの確認ではない。むしろ、「処女であるなら嫁はお断わり」という考え方である。

 こうした慣習ついて、欧州のいわゆる「初夜権」と同一視するのは間違いであろう。ヨーロッパでは処女と一種の価値であり、それを地域の権力者や為政者が独占的に支配していたわけであるが、日本の場合にはまったく異なり、新婦の相手をするのは地域または親族のなかから指導役として決められた者であり、役得とか権利をむさぼるといった感覚は認められないからである。

 ただし、「処女の嫁はお断わり」といっても、夜這いその他のシステムが確立していたかつての日本では男女ともに10代でセックスを経験するのが当たり前だったわけであり、実際には処女の嫁などは少なかったと考えられる。つまり、新婚初夜に新郎以外の男性が新婦の相手をする慣習というのは、どちらかといえば通過儀礼的なものだったとも考えられよう。

 ちなみに、この儀礼については明治時代にちょっとした事件が起きている。宮城県のある地方では新郎の父または媒酌人のどちらかが新婦の相手をする慣習があり、「仮の一夜」と呼ばれていた。そして明治16年1月24日、ある家で婚礼があり、夜の9時頃になって慣習に基づいて婿の父親が嫁と寝所の布団に入った。通例であれば、1時間もすれば再び宴席に戻ってくるはずである。

 ところが、深夜12時を過ぎても、嫁も父親も戻ってこない。やがて我慢できなくなった婿が午前2時頃になって、「親父、いい加減にしてきれ。夜が明けてしまう」と寝所で声をかけたが、まったく反応がない。不審に思って布団をはがしてみると、嫁と父親は全裸で抱きあったまま、2人ともすでに死亡してしまっていたという。死因はついにわからなかったとのことだ。

 形ばかりの儀礼のはずが、行為につい熱が入ってしまったのであろうか。それならば、年配の父親が心不全などを起こした可能性もあるが、なぜ嫁まで一緒に死んでいたのか。この事件は現在でも謎として伝えられている。
(文=橋本玉泉)

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