明治時代にはさまざまな暴論や空論が猛威を振るったが、そのひとつに「オナニー害毒論」がある。
明治維新で成立した新政府は、日本をとにかく近代化しようと奮闘した。だが、そもそも近代化とはナンなのかがまるでわかっていなかった。とりあえず、何でもかんでも欧米の真似をしようということになった。近代化というより欧米化である。裸や裸足を「野蛮だ」と言われれば、警官が怒鳴りつけて服を着せ、靴をはかせるといった有様だった。
学問についても、欧米追従である。『論語』『孟子』ではなくルソーやカント。医学も漢方より蘭方すなわちオランダ医学、さらに当時最先端のドイツ医学が最高峰とされた。
そうしたなかで輸入されたのが、オナニーは身体と精神の害になるという「オナニー害毒論」である。
もともとヨーロッパには、キリスト教に起因したマスターベーションに対する罪悪論がある。18世紀に入ると、そうした土壌をベースに、医学的にオナニーを有害なものとする学説が登場する。たとえば、スイスの医師だったA・D・ティソの『オナニスム』とはオナニーは根治が難しい病気であり、さまざま悪い症例を生み出すと紹介している。また、イギリスのW・アクトンは『生殖器の機能と疾患』という著書で、精神異常の原因としてオナニーを挙げている。さらに、アメリカのS・グレアムなどは、精液の消耗は血液の消耗を上回るという奇説によって、オナニーの回数が多い者ほど早死にすると主張した。これらは、欧米におけるオナニー害毒論のほんの一部である。
こうした諸説は明治維新後の日本に次々に輸入され、最先端の医学知識として導入されていった。たとえば、明治35年に刊行された『実用法医学・増補版』(石川清忠・編)には、「猥褻所行とは倫理にもとりたる淫事行為にて手淫、人獣相姦及び同性相姦、これなり」と述べられている。性的行為とは道徳的にケシカランことであって、オナニーや獣姦、ゲイなどもってのほかという主張である。
多くの学説は欧米のオナニー害毒説をほぼ丸写ししたもので、マスターベーションは脳や神経、内臓、皮膚に至るまで深刻な害を及ぼすものだと学校の教師たちによって教え込まれた。そのため、小中高校の生徒や大学の学生たちのなかには、オナニーをしてしまったことへの罪悪感からノイローゼになったりする者も少なくなかったらしい。
こうしたオナニー害毒論に対して、学術的観点から否定し、真っ向から対決した研究者たちもいた。たとえば、陸軍の軍医部長だった森林太郎、すなわち作家の森鴎外は、自らの医学的な見解から「害はなし」と結論。『公衆医事』という雑誌でオナニー無害論を展開した。暗殺された代議士の山本宣治もまた、「オナニーに害なし」を主張して学生たちを励ました。
時代が下ると、さすがに「オナニーは内臓疾患を誘発する」といった説は次第に姿を消していくが、今度は精神面での「弊害」を強調するようになる。手元に昭和4年発行の『健康増進叢書 性編』なる資料がある。著者として体制派の性学者として有名な永井潜博士などが並んでいるのだが、ここでも「自涜は不自然な行為であることは申すまでもない」とオナニーを否定し、「精神的不安に襲われて、ますます神経衰弱に陥る傾向さえある者がある」などと、オナニーの害を繰り返している。
こうしたオナニー害毒説は時代とともに劣勢となり、戦後はほぼ否定された。昭和49年初版の10代向け性教育図書『おとなへの出発』(学習研究社)にも「オナニーのすすめ」という項目が設けられ、むしろ推奨している。
ところが、否定撲滅されたはずのオナニー害毒論だが、いまだに亡霊のように漂っているらしい。10代や20代の若い世代の中にすら、「オナニーのし過ぎで身長が伸びなくなる」とか「オナニーをすると成績が悪くなる」などという、今風にいえば都市伝説を聞いたことがあるという。なんとも珍妙な話であるが、いつの時代にも、奇説を用いて年少者を支配しようとする輩がいるということだろう。
(文=橋本玉泉)